タイダ ヘノ サンカ
怠惰への讃歌
「怠惰への讃歌」という、面白いタイトルの本があるそうです。イギリスの哲学者バートランド・ラッセル(1872ー1970)の1932年の著作で、角川文庫1958年刊だそうです。労働は、もうそろそろ1日4時間でいいんじゃないか、と言ってる本みたいです。(私が生まれるずっとずっと前から)
何で、こういう本に出会ってしまうのか?
(しかもかなり深そう)
自分でもよくわからないんですけど
「引き寄せの法則」は、少し信じています。波長が合うと、鮮明な像を結び、突然アクセスが可能になる、みたいな感覚・・・
「実際、歴史的に見ても、地主たちが快適な怠惰を求めたことが
労働賛美の源泉でもあるのだ」
「彼らは絶対に、他の人々も自分たちと同じように
振舞うことを望まない」
労働観/労働倫理や、勤労の義務って、ウラがあったんだ...
「私たちが労働について望ましいこととして当然のごとく受け入れていることの大半は、このシステムから導かれた、産業革命以前の時代の遺物であり、現代に適用できる代物ではない」
「現代の科学技術は、制限つきではあれ、余暇を少数の特権階級から解放し、等しくコミュニティ全体に行き渡らせることを可能とした。労働の道徳は奴隷の道徳であり、そして現代世界は奴隷制を必要としていない 」
「戦争は図らずも結果として、生産を科学的に組織すれば、少ない労働によって現代の人口を快適に維持することが可能であることを実証したのだ」
「仮に、戦争が終わったときに、人々を戦闘や軍需品生産のために労働から解放せしめた科学的な組織をそのまま保存して、1日の労働時間を4時間に切り下げたなら、万事うまくいっていただろう」
「現実には、戦前の混乱へ逆戻りして、労働者は再び長時間労働を命じられ、残りは失業者として飢えることになった」
「なぜこんなことになったのか? それは、労働が義務として考えられ、人は生産した物ではなく、その勤労によって証明される美徳に比例して、賃金を受け取るべきだとされているからだ」
「これぞ奴隷国家の道徳だ。しかも、かつてそれが登場したのとは、全く異なる歴史的文脈に適用されている」
最近、いろいろな「言葉」の意味が
「わざと」すり変えられてきた事を知りました。
歴史の裏側...イデオロギーの変遷...
ウラで(合法的に)儲け続けてる仕掛人たちの系譜...
「あるとき、一群の人々がピンの製造に従事していると仮定する。彼らは世間で必要とされるだけの数のピンを生産している。現在の労働時間は、そうだな、1日8時間としよう」
「ここで、ある人が、同じ数の人間で従来の2倍の数のピンを作れる方法を発明する。しかし、世間の方は2倍のピンを必要としているわけではない。ピンはもう十分安いので、これ以上安くして売ることもできない」
「こんなとき、まともな世界であれば、ピンの製造に従事する人々は、8時間労働を4時間に短縮して、残りの状況はそのままにしておくはずだ」
「しかし現実の世界では、これが不道徳と見なされる。人々は相変わらず8時間働き、世の中にピンが溢れる。雇い主の中には破産するものが出て、ピン製造に従事していた労働者の半数は職を失う」
「結局のところ、作り出される余暇の総量は先の4時間労働のプランの場合と同じなのだが、違うのは、半数は全く何もせず、残りの半数はずっと超過労働のままだ、という点だ」
「このようにして、必然的に生み出される余暇は、幸福の普遍的な源泉とはならず、あちこちで惨めな不幸を引き起こすことになる。これほど狂ったことを他に思いつくだろうか? 」
これから大人になる子供たちに、
こういう毎日を繰り返す義務があるのかな?
これからリストラされる中高年の方たちは、
それでもなお、再雇用されることを目指す義務があるのかな?
ふうん
でも、国が違うと義務も違うんですよね
時間どろぼうのこと、ワークシェア先進国のこと、
何か知らない人がまだまだ全然多いので、洗脳ってコワいです。
(地主系〜何らかのオーナー目指してる人はナマケモノ←ほめてる)
「私が労働時間は4時間に切り下げるべきだと提案したのは、別に残りの全ての時間をダラダラすごせと言いたいからではない」
- 商品名: 怠惰への讃歌 (1958年) (角川文庫)
- 著者: B.ラッセル
- 出版社: 角川書店
- 発売日: 1958
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- 2009/07/01更新
- 2009/06/29登録
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