哲学随想 アシノウラニ カゲ ワ アルカ? ナイカ?
足の裏に影はあるか? ないか?
本の題名が気になって、手に取った。それも本の装丁も、凝っている。表紙を見ただけでは、どちらが上で、どちらが下であるのか、間違えてしまう。まして、著者の名前も気になる。「入不二」というのは姓であるのか、ペン・ネームなのかと思ってしまうが、この哲学随想とも無関係ではないようだ。
そもそも、この「足の裏に影はあるか? ないか? 」という小品が、この随筆集の中にある。著者の長男がまだ小学生だったころ、著者に発した質問が、随想の発端だ。影は光りが遮られてできるものだから、光が届かない場所は影となる……、といった「定義」と見方、見え方の発展が綴られる。この「光りと影の二値原理」では、どうも巧く説明がつかない。「二値原理」を逸脱するものが登場する。「AでもなければAの否定でもない」ではなく、「AでもありかつAの否定でもある」ような肯定……。結論としてこう書いている――
光と対比される影をも、自らのうちに包摂するような「光」――すべてに行き渡っているような汎―充溢的な光―が、「ある」よりももっと「ある」ことであり、光と影という秩序にはいることのできない場―あの「足裏の下」―が、「ない」よりもっと「ない」ことである。この両者は、ふつうの「ある」と「ない」とはまったく違う仕方で、決定的に異質であって交わることがない。「私たち」とは、そのような無限に遠い「ある」と「なし」との間で引き裂かれつつ、その中間をかろうじて維持している「自転車操業的」な―落差の反復を続けていないと倒れてしまう―あり方なのである。
もう一つの「入不二」の名前。「『さとり』と『おおぼけ』は紙一重」という題の記事に”種明かし”がある。大乗仏典の一つ『維摩経』の第8章(入不二法門品)の話の中である。これに由来した著者の姓なのだそうだ。さて、説話では「不二の法門に入る」(さとりの境地に入る)とはいかなることについて、議論が展開されている。31人の菩薩たちと文殊師利が、主人公の維摩の前で、それぞれ自説を述べる。「……生じることと滅することとが二である。ところで、生じることなく起ることがない場合には、滅することはまったくない。法は無生であるとの確信をえること、これが不二にはいること」との主張から、「生と滅」「幸と不幸」のような二項対立、二分法で解決しないものごと……
結局、どうなのかは、だんだん面倒くさくなってくる。眠れない夜には、向いているか、もしくは眠れなくなるか、のどちらかだ。これも二項対立的な発想だといわれるやもしれぬが……
- 商品名: 足の裏に影はあるか? ないか? 哲学随想
- 価格: ¥1,890
- 著者: 入不二基義
- 出版社: 朝日出版社
- 発売日: 2009-04-01
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- 2009/07/12更新
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