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マルヤゼンシチ

丸善

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昔、ボクがまだ若かった頃。
或る先輩からこう言われた。

大人の男になりたかったら「丸善」に行け。
「丸善」に行って本を買い、文具を揃え、
身支度を整え、腹が減ったら『ハヤシ』を喰え。

そうすれば、やがていつか大人の男だけが持つ匂いが
君の身体からも湧き上がって来るだろう。

以来その訓えは三十年経った今でもまだボクの心に深く刻まれていて、さしたる用事がなくても東京に出かけると、「丸善」に勝手に脚が向いてしまう。

創業者にして『ハヤシライス』の生みの親である「早矢仕有的(はやしゆうてき)」は本名で、岐阜県・美山町の出身。
元来は医者で、福沢諭吉の門下生。

明治2年横浜で「丸屋商社」(屋号・丸屋善七)創業。

西欧文化・思想を文明開化の日本にいち早く取り入れる役割を担って、二歳年長だった福沢諭吉の指導の下、洋書・雑貨・各種食材の輸入に当たる。

以後今日まで
本屋として一流。
文房具屋として一流。
テーラーとして一流。
洋食屋として一流。

所謂「万年筆」は「丸善」社員の金沢万吉が精力的にこれを販売したので、「万吉さんの筆」と呼ばれたのが始まり。

「テーラー」は日本で初めて『バーバリー』を輸入したことでも知られるが、福沢諭吉が『慶応義塾』で経営していた「洋服仕立局」を委託されたのが始まり。

「ハヤシライス」は早矢仕自身が友人に振舞った洋食が一方のルーツであり、明治期の宮内省(岩倉具視)が上野・精養軒にレシピを伝え、それが神田・松榮亭などハイカラ洋食屋に伝播して行ったのがもう一方の元祖。

「早矢仕」の姓は今も美山町に残るが、元は「林」。
岩村藩に代々仕えていた「林家」は射術に優れ、人並み外れて「矢を早く射る」ことから、この誉れある名を与えられたと言う。

山口瞳は洋服を仕立てた後、「理文路」で珈琲を飲むのがいつもの慣わしであった。

丸善

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涙腺子画像 投稿者:
涙腺子
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  • 2002/10/04更新
  • 2002/10/04登録
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