イトウセイ 「キンダイニホンジンノハッソウノショケイシキ」
伊藤整 「近代日本人の発想の諸形式」
難解な書だ。
しかし、日本人独特の発想の形式がわかる。
≪島崎藤村は、兄の娘、即ち自分の姪と肉体関係を結んだ。
その煩いを避けるために外遊したが、帰国後も姪との交わり
は復活した。暴露すれば社会的に破滅する。それを彼は恐れ
た。兄はそれを暗に知っていて、藤村から金をせびった形跡
がある。平野謙が実証的に証明するとことによると、藤村は、
このような窮地にあって、自分の社会的地位を失わないこと、
姪と別れること、兄に金をせびられるのを終わりにすること、
等の色々の目的を同時に果たすことを考えながら、告白小説
「新生」を書いて新聞に発表した。
その姪との関係が書かれたのを読んだとき田山花袋は、島崎
君は自殺する、と言い立って立ち上がった。花袋のそのときの
認識は一重のリアリストのそれであった。この作品が完成した
時、芥川龍之介は、藤村のような偽善者はいない、と書いた。
芥川の方が物事を正確に見ていたのである。しかし、日本の
近代社会では、恋愛も醜聞も金銭も、それ自体の問題として
純粋に存在しえない。それは社会というよりも家族的な関係
の中に分かちがたく織り込まれているのが常で、藤村は典型的
にそのような立場にあった。そのような社会における困難の解決
は、本当の理論とは違う何ものかによって為される。即ち顔、
間接的圧力によって誰かを犠牲にし、その犠牲を闇から闇へ
葬ることによって家族としての体面を保つのが、日本的な解決
の道である。藤村は、そのような旧時代的な方法をそのもの
では自己の苦境から脱出することをしなかった。彼は近代人の
自己表現方法である告白というリアリズムの形において、小説
を書くことで解決しようとした。これが「新生」事件の外形である。
花袋はそのように認識した。
しかし、事実は、藤村は、告白小説を形において利用して、実質的
にはそれを顔や圧力と似たようなものとして使ったのである。それは
芥川が見破った所であった。しかしそのようなりアリズムの逆行的
利用を「偽善」と考えるような芥川的な明晰な考えをする人間が、
日本の社会で論理的な仕事をしながらいきつづけるのは無理で
あった。花袋的な一重のリアリズムでは文壇という日本の社会の
実質から離れた修業者団体の外では通用しないのである芥川
のように論理歪曲を偽善と見る人間はまた日本の社会では生き
がたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
彼(藤村)の発想は日本の社会、家族関係の実質に合致したが
故に、 アイマイで暗示的で圧倒的な力を持っていたのである。
そして、このような文体即ち考え方を必要とする社会構造は、
現在まだ終わっていない。藤村的文体のもっと俗悪化し、風化
し、死物となったものが、広汎な読者を持つ大衆文学、選挙演説、
会議の発表、大臣の挨拶等の実体をなしていて、それは知識階級
には嘲笑されながらも、確実に日本の一般民衆の発想法と結び
ついているのである。文壇の評論文学、文壇小説のリアリズム
などというものは、そのような日本の民衆に対して常に空転して
いるのである。これは日本の近代化の機会、明治維新と第二次
大戦とが、二つとも外から刺戟され、支配者に都合のよいように
上から与えられて、実質的に旧い生活の内容を受けついだもの
であり、民主の内側から起こったものでないことと関係がある。
知識階級は常にその形式を日本の質であると錯覚している
のである。≫
☆ ☆
俺は、芥川的正義感を振りかざして、いまだに辛い思いをする。
そして、その他大勢から抜け出したいだとか、
世俗から離れて生きたいだとか
考える。
それらは、もしかすると、
≪日本の文学において「方丈記」以来の隠遁の理想的孤独人の
イメージが代々受け継がれて書かれて来た≫
影響を受けているのかもしれない・・・・・・
本書は、稀有な日本人論だと思う。
自分の思考は、自分が日本人だからこそ、そのように発想するのだ。
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コメント (7)
最新コメント5件
2009/10/21
wahei いえいえ、こちらこそ勉強になるKWを立てていただきありがとうございます。現代とは、人間が生きやすい時代なのかという疑問が頭から離れず、いろいろ本を探し出して読んでみては、日本における近代の成立過程に何か問題があるのではないか、と推測しています。そのような思いのときに、ご紹介のKWを見ましたものですから、重要な問題がこの本に書かれているな! と感じ、読ませていただきました。「川原でキャッチボールしてたら、プロに~」なんていう思いを持たれるとは、こちらの方こそ気恥ずかしくなってしまいます。家庭の事情で会社勤めを辞め、子どもの介護の合間に自宅で作業しておりますので、今の実態は「ヘルパー」ではないかな? などと思っています(脱線すみません)。この本は岩波文庫にぜひ復刻してもらいたいですよね。私は古書店で探して、ぜひ手元に置いておきたいと考えています。
2009/10/23
takumi-nana-babu 子どもさんの介護のこと、とても脱線とは思えないです。我が家の小6の一人息子は、ぜんそく気味で入退院を繰り返していました。そんな息子に、本人が望まない中学受験を強要して、親子関係がギクシャクしています。waheiさんの「ヘルパー」という言葉が胸に刺さりました。俺のやってきたことは、「拷問」だったのかもしれないと・・・
2009/10/28
wahei 昨日吉祥寺のブックオフで本書、見つけました!息子さんのことは、実はうちも中2の娘に中高一貫の受験を進めて失敗した経験があり、複雑な思いがしています。もしお気持ちがあれば、「ケアの本質」(ゆみる出版)をお読みになってくださいませんか。「他者の成長を助けるためのケア」についての言及は、takumi-nana-babuさんなら、きっと深くご理解いただけると感じました。
2009/10/31
takumi-nana-babu waheiさん、いま新宿紀伊國屋で「ケアの本質」を買ってきました。帰りの山手線で、早速読み始めました。序で≪たとえば、わが子をケアする父親を考えてみよう。≫なんて言われると、おおっ!と食いついてしまいました・・・ p.149-150に≪私たちがある友人、会話、音楽の演奏、本などについて、完璧ではないが”これでよい(good enough)と認めたとき、これは改善の余地がないと言っているのではなくて、改善しても根本的に事態を変えることにはならないと考えているのである。人生というものは、生きていくこと自体ですでに十分なものと感じられ、私が望むことは、ただそういう人生を送る機会を得たいということなのである。≫とありました。 近頃、このgood dnoughのようなのもがおぼろげに感じられるときがあります。すぐに消えていってしまいますが・・・ 兎にも角にも、じっくり読もうと思います。こんな良書を推薦していただいたばかりか、娘さんの経験談までお聞かせくださって、ありがとうございます。「関心空間」やって良かったなと思います。
wahei 「ケアの本質」早速お読みいただき、ありがとうございます。この本は、僕も関心空間で知ったのです。本KWはこちら→http://www.kanshin.com/keyword/... 自分が親であることに、この本で気づかされたことが多くあります。今も座右において、時折読みます。また、いろいろ教えてくださいね。
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