リセイノゲンカイ フカノウセイ フカクテイセイ フカンゼンセイ
理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性
人類が到達してしまった「理性の限界」に関する議論。素人を交えた架空の討論会という形式で書いてあって読みやすい。難しい理論を扱っているが、ここで必要なのは結論だけ。それもやさしく解説してあるので、一般人でも理解しやすい。しかも、ときどき話が脇道にそれて、眠くならないようになっている。議論に参加する専門家は数理経済学者、哲学史家、論理学者、国際政治学者など十数名。それぞれの人が言いそうなことを言う設定なのだが、この顔ぶれが多彩で、それだけ話題の広がりも大きい。そこがこの本の面白さかもしれない。また一部の登場人物にキャラ設定があるのも楽しい。カント主義者、ロマン主義者、フランス国粋主義者、急進的フェミニストはボケ担当。
第一章「選択の限界」は合理的な選択に限界があるという話。アローの不可能性定理によれば、完全に民主的な社会的決定方式は存在しない。選挙を例に考えると、公平な投票方式が存在しないということで、これは民主主義における多数決原理に欠陥があることを意味している。この章では投票のパラドックスから囚人のジレンマなどに議論が及び、その途中で何度も映画の話に脱線する。こんな調子で、第二章「科学の限界」ではハイゼンベルクの不確定性原理が、第三章「知識の限界」ではゲーデルの不完全性定理が、それぞれ取り上げられている。SFファンやパズルマニアなら楽しく読めるはず。
第二章における、科学との付き合い方に関する議論はなかなかスリリングだ。科学は強力なツールには違いないが、善や美の問題、すなわち「人生の質」の問題を解決する力を持たない。事実、地球上には科学なしで立派に生きている人々がいる。非科学的だという理由だけで何かを否定するとしたら、そんな科学は宗教と変わらない。ここまで考えると、道化を演じているカント主義者(倫理)やロマン主義者(芸術)の存在が意味ありげに見えてくる。これは著者の意図と違うのかもしれないが、この本の終盤にアマルティア・センの言葉が引用されているところからして、まるっきりハズレでもないだろう。
《経済学者のアマルティア・センは、理性の限界を認識せずに既存の合理性ばかりを追い求めている人を「合理的な愚か者」(Rational Fool)と呼んでいます。センは、利己的な経済活動だけでは社会的「善」を達成できないと考え、経済学に倫理学を融合させた斬新な議論を展開して、ノーベル賞を受賞しました。》
理性を信頼せず思考停止した社会は暗いが、理性を過信して暴走する社会も危うい。
- 商品名: 理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)
- 価格: ¥777
- 著者: 高橋 昌一郎
- 出版社: 講談社
- 発売日: 2008-06-17
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