日本戦没学生記念会編 「きけわだつみのこえ」
いつもなら真夏に8月に読むこの本を
風まだ冷たい3月にめくった。
アメリカとの距離がどんどん遠くなってゆく・・・
恋人のような、親子のような日米の距離が遠のいてゆく・・・
遠距離恋愛が時の流れとともに自然消滅してしまうかのように。
郷里を離れゆく子のように。
トヨタの責任はそりゃ重いだろう。
自動車は人の命を預かっているのだから。
でも、日米関係のゆくえまで背負わせるのは
無茶というものだ。
☆ ☆
「きけわだつみのこえ」の冒頭で渡辺一夫が、
「感想」として述べている。
P.10~
本書のいかなる頁にも追いつめられた若い魂が、
ー自然死ではもちろんなく、自殺でもない、他殺死を
自ら求めるように、またこれを「散華(さんげ)」[戦死を
桜花が散ることに譬えた]と思うように訓練され、
教育された若い魂が、若い生命のある人間として、
また夢多かるべき青年として、また十分な理性を
育てられた学徒として、不合理を合理として認め、
いやなことをすきなことと思い、不自然を自然と考えねば
ならぬように強いられ、縛りつけられ、追い込まれた時に、
発した叫び声が聞かれるのである。この叫び声は、
僕として、通読するのに耐えられないくらい悲痛である。
それがいかに勇ましい乃至(ないし)潔い言葉で綴って
あっても、悲痛で暗澹としている。
僕は、人間が追いつめられると獣や機械になることを考える
のであるが、人間らしい感情、人間として磨きあげなければ
ならぬ理性を持っている青年が、かくのごとき状態に無理やり
に置かれて、もはや逃れ出る望みがなくなったとき、獣や機械
に無理やりにされてしまう直前に、本書に見られるようなうめき
声や絶叫が、黙々として立てられたことを思えば、もはや
人間を追いつめるような、特に若い人を追いつめるような
ことは一切、人間社会から除き去れねばならぬことを沁々と
感ずる。戦争というものは、いかなる戦争でも、必ず人間を
追いつめるものである。相手に銃をつきつけたら相手もこっちに
つきつけるであろうし、相手が銃をつきつけたら、こっちも銃を
つきつけるであろう。これは追いつめられた状態のもっとも
単純な例であろうが、こうした単純な例から抹殺してゆかねば
ならない。「私は合法性への迷信を持つものではないが、暴力は
人間としての弱さであると思う」というジャン・ジョレース[第一次
世界大戦の前夜暗殺されたフランス社会党の指導者1859-
1914]の言葉を思い出すが、この弱さ、この恥ずべき弱さを、
人間に強いるのが戦争であり、一切の暴力運動である。
☆ ☆
戦後を日米関係を考える節目はこれまでにもあった。
しかし、いまとこれまでとは、明らかに状況がちがう。
亡き母は、「日本は戦争に負けてよかったのよ」と言っていた。
若き貴い命を想えばあまりにもむごい言葉だ。
母は終戦の時、小学2年生だった。
それは少女の目で国家を見て出た言葉だ。
なげけるか いかれるか
はだもだせるか
きけ はてしなきわだつみのこえ
日本の歴史でもっとも高く深い精神の境地を
ここにみる。
俺は、彼らの言葉を胸に刻みながら、
これからの日米関係について考えたい。
「日本戦没学生記念会編 「きけわだつみのこえ」」を検索
このキーワードを共有する
-
メイン
コメント (0)
まだコメントされていません。
つながりキーワード (0)
まだキーワードがつながっていません。







「天切り松 闇がたり...
どうしてボクには仕事...


