第四部
奥の細道・平成風狂句(4)
象潟
僧策彦(さくげん)の言葉のように、「暗中に模索して雨もまた奇なり」とすれば、雨上がりの景色を待つのもまた旅の楽しみと言えようか。雨が止むのを待って酒田を発つことにしよう。
翌朝空は鮮やかに晴れ渡り、この陸奥の旅の大きな目的の一つであった象潟に舟を浮かべる。
初めに『能因嶋』に舟を寄せ、能因法師が閑居していた跡を訪ねる。
また、その向こう岸には西行法師ゆかりの桜の老木が記念に植えられていて、水辺には神功皇后の墓と言う御陵が在り、干満珠寺の方丈から眺める鳥海山・汐越の景観は松島に似ているが、違うようでもある。
強いて言えば、松島は笑うが如く、象潟は恨むが如くとでも申すべきか。
(31) 象潟や 雨に西施が ねぶの花 芭蕉
みちのくに 仏を見たり 合歓の海 涙腺子
越国の美女・西施の如き憂い顔に似た合歓の花。それは、能因・西行を偲んでこの地まで足を運んで来た苦労を忘れさせるほどに美しく、却って侘しさを感じさせる。
(31) 汐越や 鶴はぎ濡れて 海涼し 芭蕉
吾もまた 法師となりぬ 汐溜り 涙腺子
象潟や 料理何くふ 神祭 曾良
蚶貝を 袂に入れて 夏まつり 涙腺子
熊野権現の夏祭に偶然出会ったが、地元の人は特産の蚶貝(きさがい)の他に、何をご馳走にするのだろうか。
(32) 波越えぬ 契ありてや みさごの巣 芭蕉
水鳥の 契りもゆかし 磯の浪 涙腺子
『君をおきて あだし心を吾がまたば 末の松山 波も越えなむ』と古今集に詠われたように、ミサゴは今も仲睦まじい契を結んでいるのだろう。
路銀も費えて北陸道を金沢へと返す。道程百三十里。
越後路
(33) 文月や 六日も常の 夜には似ず 芭蕉
七夕を 松はこずえの 夢一夜 涙腺子
(34) 荒海や 佐渡によこたふ 天の川 芭蕉
雲出でて 明日を夢見の 名残り月 涙腺子
出雲崎を過ぎれば難所の親不知・子不知が待っている。それを思うと、目的を遂げた後の帰り道の侘しさが一層身に沁みるこの夜なのだ。
市振
(35) 一家に 遊女も寝たり 萩と月 芭蕉
老いたれば 褥も法師が 仮の宿 涙腺子
難所をようやく越えて市振に着く。西行法師と江口の遊女の故事を偲んで句としたが、遊女二人との出会いは道すがらに出会った海女の面影を認めたもので、曾良にもそのように語っておいた。
有磯海
(36) 早稲の香や 分け入る右は 有磯海 芭蕉
家持が 歌も有磯の 芦屋かな 涙腺子
黒部四十八ヶ瀬を渡り、高岡へと向う。
途中『担籠の藤浪』に寄ろうとするも、周囲には宿になるような家もないと村人が言うので、ここは諦めるしかない。
金沢
倶利伽羅峠を越え、ようやく金沢に着く。
この地で俳諧の道に勤しむ一笑と言う者がいたが、若くしてその名を知られるほどであったのに、昨年の冬に急死してしまった。
(37) 塚も動け 我が泣く声は 秋の風 芭蕉
一笑に 布施も苦界の 旅枕 涙腺子
草庵に招かれ、旅の疲れを癒す。
その厚いもてなしに、残暑も忘れるようなひとときであった。
(38) 秋涼し 手毎にむけや 瓜茄子 芭蕉
峠越え 今一息と 秋の宵 涙腺子
金沢から小松に向う。陽が高い頃にはつれないほどの暑さだが、それでも時折秋の涼風も吹く季節になった。
(39) あかあかと 日は難面も 秋の風 芭蕉
つれなくも 冥土の土産 影法師 涙腺子
(40) しをらしき 名や小松吹く 萩すすき 芭蕉
小松なる 野辺に焚火の 筋一つ 涙腺子
多田神社
(41) むざんやな 甲の下の きりぎりす 芭蕉
蟋蟀の 宿にも似たり 龍頭(たつがしら) 涙腺子
倶利伽羅峠から小松まで、金沢での句会などあったが平穏な旅を続けた。小松では多田神社に詣でたが、斉藤実盛の逸話を描いた縁起を読めば、実盛の亡霊が蟋蟀の身を借りて鳴いているようにも感じられる。
以下続く。
写真は『萩』
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