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えどばくふ の にほんちず(歴史文化ライブラリー)

江戸幕府の日本地図―国絵図・城絵図・日本図

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「版図」という言葉がある。「一国の領域。領土」といった意味で、「版」は戸籍、「図」は地図の意味だ。「地図」というのは、今日的な場所空間を表す絵図、という以上に、権力者にとっての「統治者としての正統性」を示すものであったり、地図を制するものが、国を治めることを示していたことを、改めて知った。

近代の日本地図の元になるのが、豊臣秀吉のいわゆる太閤検地(天正10=1582年)による諸国の生産力掌握にあった、というのはなるほどと思う。天正19年に全国の大名に検地の結果を記載した「御前帳(おまえちょう)」と郡絵図の提出を求めている。この際の地図の作成に当たっては、国郡を単位としていて「政権の歴史的な正当性の根拠を古代王朝の国家的統治へ求めたものであった」(p13)

江戸幕府が最初に広く諸国から国絵図と郷帳の徴収を図ったのは、幕府開設の翌年、慶長9=1604年。徳川家康がまだ伏見城にいて政務をとっていた時期、まず豊臣恩顧の外様大名が多い西国33カ国を対象に、家康用と秀忠用の2部を求めている。
三代将軍家光の寛永10=1633年に、全国へ一斉に巡見使(国廻り上使)を派遣した。主たる任務は諸国の政情監察のほか国境、道筋の検分、元和の一国一城令が遵守されているかの確認だった。そこで巡見使の国廻りに先立って諸国へ国絵図の提示を要請した。
その5年後、島原の乱が起きる。乱鎮定に手こずった幕府は、陸海の道筋と里程、交通環境などの地理情報を知る必要に迫られ、中国筋の諸国に絵図を求めた。
正保元年=1644年に全国的な国絵図作り事業開始。国ごとの絵図元(調進担当者)を任命する。絵図基準が定められ、縮尺は6寸1里(2万1600分の1)に。この際、城絵図の提出も同時に求められた。城絵図は諸大名にとっては最高の軍事機密で、大名が自分の城郭を絵図に描いて差し出すことは屈辱であったはずだが、何の混乱もなく絵図徴収がなされた。徳川三代で多くの大名家の改易、減封、謹慎などで諸国の大名は幕府権力に畏怖し、その命令に従順に服従したらしい。この城絵図は明治維新の戊辰戦争のときに新政府軍によって持ち出され作戦要図として用いられ、散逸した部分が多いという。
さらに50年後の元禄10年=1697年に、内容が古くなったとして元禄の国絵図改訂が行われる。この改訂作業の中で「国境と郡境の論所解決」のための「縁絵図突合せ確認」の作業が行われた。また元禄14年には、海岸線をもつ国々の絵図元に海際縁絵図の調進を要請、また全国に道程書上げを命じ、国内城下間および隣国の城下までの里程を求め、全体の日本図作りを試み、狩野良信のチームによって絵図が完成する。

8代将軍吉宗は享保2=1717年、日本総図の再編を命じている。数学者関孝和の門人建部賢弘を責任者にして、諸国の「見当山(みあてやま)」の望視調査を行う。これまでの絵図の東西南北の方位を正し、方位に合う様に国絵図を順次接合して日本全体の一枚図を作成した。吉宗は地図に関心が強かったらしい。「見当山調査」のうち、最初に手がけたのは江戸城三重御楼から見渡せる大山・富士山・日光山・筑波山などの方位を木製と金属製の方位盤(見盤)で測って、元禄日本図及び関八州の寄絵図(国絵図を寄せ合わせたもの)の図示状況を比較して既成図の不正確なことを確認したのだという。

ところで伊能忠敬の計測。寛政12年の蝦夷地調査から。師匠の高橋至時の宿願でもあった子午線1度の長さの計測を、距離の実測と極星(北極星)の高度計測を組み合わせる方法で求める実地のフィールドワークでもあった。「東蝦夷海辺行路の地図」を手始めに「日本東半部沿岸地図」を文化元年に完成、第10次の文化13年の江戸府内測量まで。
元禄から130年を経た天保年間(1830-1844)に全国規模での絵図改訂が行われる。郷帳改訂が先に行われ全国土の徹底した耕地調査の性格を帯びた。諸藩は、この実高を明らかにすることに戸惑う。絵図改訂は幕府が元禄国絵図の写しお渡切絵図)を配布して、変地の箇所の調査をさせた。

エピローグとして「新政府に継承された明治国絵図」の章も面白い。幕府の崩壊後も、明治4=1871年の廃藩置県までの新政府の地方行政は、府・藩・県の三治制で、真製粉よって接収された旧幕府領には府・県が置かれたが、旧藩領はそのまま継続していた。明治2年6月、藩主は藩知事となり、4年7月には藩は廃止されてすべて県に置き換えられた。この時点で1使3府302県だったものが、4年11月には3府72県にまで整理され、さらに明治21年にいたって1道3府43県に決定、この行政区画が現在に至っている。明治元年12月に太政官布告をもって全国の府県、諸侯に管轄区の国絵図作成を命じている。縮尺は3寸1里(4万3200分の1)。思うように進展しないなか明治3年6月、民部省から再度作成を促し、天保縮写図を公布。一方で地租改正が急浮上し、地券公布は中途挫折したものの、地租が年貢から金納に切り替えられ、新設の内務省は6年11月、各府県に全国一定方式で地押丈量(地籍の測量調査)を開始、21年までにこの調査は完了する。これが縮尺1分1間(600分の1)の「土地台帳付属地図」(地籍図)で、土地1筆ごとに所有者が公簿に登載されて、その形状、境界・地目・面積が公図上に示されるに至った。

地図をめぐる話は、おもしろい。

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