こうこくすまっぷ
「広告SMAP」
広告批評 2002年10月号 No.264/特集「広告SMAP」について。
昔なら「広告批評」を読んでいるなんて言ったら、嫌らしい感じのこだわりを覚えたし、そんな意見を聞いたりもした。実際読んでみればそんなことはないのだし、既にその時点から自分も変わっているのだろうし、あるいは使い古された材料としか見られないよりかはマシなのか。
SMAPは僕とほぼ同世代だ。中居正広、木村拓哉。キムタクにいたっては一つ下だとは言え、誕生日がなんと同じ。この驚きは「別に聞いてないよ」と、ちょっと嫌がるっているのが分からないくらい、人に話していたりするほどである。
同世代がこれほどに世の中を動かしているという事実はとても誇らしく、そして刺激的だ。しかも10年以上トップを走り続けているのだから、時代の象徴ですらある。そして巨大なシンボルはどう切り刻んでもアイコンとして成立する。渋谷を歩いていてSMAPの記号と対峙させられる場面がここ数年極端に増えた。背後に潜む周到な戦略。彼らの魅力が、同時にそれらを演出しているスタッフのスキルの高さを物語っているのが興味深い。まさにこの特集でも語られているように、SMAP自体がプロジェクトなのだろう。
この特集で分かることは、やはり僕らはSMAPを通じて時代の先端と触れているのだと言うことだ。こちらに見えている存在が、いつまでもインパクトを再生産し続けているという事実がそれを物語っているし、カッコ良さを感じているのも、すべて彼らの魅力と「その見せ方」次第だと言うことを再認識する。
売れっ子ライターの永江朗が「ユニット論」(飯島洋一)と「データベース論」(東浩紀)を引用してSMAPの人気が長い理由を分析しているもの興味深い。その引用形態自体が、すでに「広告」的な戦略を感じる。彼自身、今現在売れているライターとして同じ様な空気を放っているのだと思う。横断的に駆けめぐる思考など。
やはり仕掛け役の佐藤可士和×多田琢の存在はすごい。そのスマートな印象とは裏腹に、渋谷での戦略をワイドショーネタまで引き延ばした力技。OZOCの真っ赤な広告と、建築のスタディー模型が広告に使われているのを見たときには「ああ、やられた」という思いだった。建築は十分に戦略的に作られているが、見せ方次第なところがあるので、当然広告の対象として分析されていくだろう。既に見慣れた光景が、突然マスメディアに浮上したような思いだった。ある意味で、建築が広告という対象と実に近い作られ方をしているのだという暴露にも見えた。
知っている限りで「SMAP」のこと/吉本隆明と言うのにもちょっと笑えた。
- 2003/01/23更新
- 2003/01/23登録
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