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浅沼稲次郎刺殺50年

山口二矢

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50年前、1960年10月12日午後3時過ぎ。日比谷公会堂で開かれていた三党首立会演説会の演壇には、日本社会党の委員長・浅沼稲次郎が立っていた。人間機関車と呼ばれ、そのガラガラ声で親しまれ、愛された委員長だった。演説が聞こえないほどの野次を、司会者が制した直後、演壇に駆け上がり、浅沼委員長の胸に腰ダメの短刀で2突きした男がいた。学生服の上にコートを着た、その男の名が山口二矢だった。
二矢と書いて、「おとや」と読む。インタネットでは結構「乙矢」と誤記しているものを見かけるが、そもそも二矢でおとやと読ませることの方が無理といえば無理だ。それはともかく、この短刀の刺し傷で、浅沼委員長は出血により(外見は血が見えなかったが……)ほとんど即死に近い状態であった。この演説会は、総選挙を前にNHKが主催してラジオで中継中のライブ殺人テロルとなった。勿論、直後からNHKはテレビでも特番を組み、その瞬間を茶の間の流し続けた。写真は、毎日新聞のカメラマンの捉えた一瞬。ピューリッツア賞を受けた一枚だ。
1960年6月には、あの安保改訂を巡る政治の季節が頂点を迎え、岸政権の退陣で、低姿勢と『寛容と忍耐』の池田政権がとってかわり、テロルの舞台にはその池田勇人首相も自民党総裁で並んでいた。高度成長へと世の中が大きく転換していく曲がり角の時期だったが、安保反対の盛り上がりに右翼の焦りと危機感も高まってのテロルであった。
山口は当時17歳。少年法の原則にかかわらず、新聞は当初から本名を報道した。恐るべき「セブンティーン」は流行語にもなった。翌年、やはり右からのテロル、嶋中事件の実行犯も17歳であった。

あれから半世紀。何が変わって、何が変わっていないのか。
NHKの「きょうは何の日」では、「1983年 ロッキード事件丸紅ルートで、田中角榮元首相に懲役4年・追徴金5億円の実刑判決」以降の出来事だけを伝えていた。

山口二矢

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chagale画像 投稿者:
chagale

コメント (4)

2010/10/12

みに chagale さんこんにちは。浅沼稲次郎暗殺事件は今日だったんですね。沢木耕太郎のテロルの決算を読み返したくなりました。

2010/10/13

chagale 半世紀前というのは、すでに「歴史」なのか。実際に、その時代の空気を吸ってきた時間を振り返りながら、その実感も大事にしていきたい、と思っているこの頃です。

雲衣。 記憶表層から消えていた「山口二矢」の文字に虚を衝かれたような感覚と複雑な感懐を持ちました。ふと思い立って探すと、事件のあと大江健三郎によって書かれ、単行本未収録で葬られた作品、『セブンティーン』第二部『政治少年死す』が、その気にさえなれば誰でもネットで読める時代になっていました。かつては海賊版で読むしか方法のない「幻」の小説そのものでしたが 。。。

2010/10/14

chagale 雲衣。さん、本当ですね。ご教示ありがとうございました、初めて読みます。若かった大江の文体ですね。それにしても10月も半ばなのに、いつまでも蒸し暑いですね。あの半世紀前のこの時期、二矢はコートを着ていて何の不思議もない陽気だったのに、今、あんなコートを着ていたら怪しまれるでしょう。

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