あかるいみらい
アカルイミライ
見ました。よいです。
テーマは「アカルイミライ」。
黒沢清は「大人たちにとってアカルイミライという意味ではないです!」と断言する。言葉どおりに作品に描かれるのは24歳のフリーターを主人公に据えた20代後半程度までの「若者」の青春群像作品です(と思います)。さんざん言われつくされた若者の心象風景が虚無(?)であることも、この映画には「嘆き」としてではなく、そういった心的内部の描写ではなくあくまでもカメラの手ぶれによって現実と虚構の区別の不確かさ、不安感のより物質的な表面化によって、彼らの意味不明、根拠無視の「アクション」だけが丹念にスクリーンに描き出される。黒澤清のサイレント映画はホラー&ミステリという大衆化にカテゴリーされるその場当たり的な「客寄せ効果」を確信犯的に翻して、こういう話の展開なら客もわかるだろう、という監督の思惑とは、まったく関係のない、ストーリーの徹底的な作為性によって、その映像を見るものに「そうではないなにか」を見ることを要請する。
わかりきった内面描写、紋切り型のストーリー展開、といったものを合えて真っ向から愚直に採用することで、その病的な静けさの「音」に耳を向けさせると同時に、役者が演じているその映像を支配するカメラアングルがある定まった「映画」の空白を切り取る、映画の空間、映画空間がそこに突如として、しかもすでにつねに漫然としてそこにありえたかのようにそこに存在していることに客は気づいているのだが、それは見るものの「見る」という行為「聴く」という行為を全面的に支配する「知覚」という感性によってほぼ無意識的に身体に記録されている(はずなのです)。
おすすめ、です。
- 2003/03/14更新
- 2003/03/08登録
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