ツキハドッチニデテイル
月はどっちに出ている
これからはアジアの時代だよなどと流行に乗って中国語を習ったり、新大久保あたりにわざわざ出かけて行っては、韓国料理屋や沖縄料理屋をハシゴして、「やっぱ差別はいけないよなあ」などと口にしたりする軽薄な周辺差別主義者たるワタシだから、映画「GO」にはもちろん、すこぶる感銘を受けた。
「俺はナニ人でもない!俺は俺だ!」
と叫ぶクボヅカ君は最高に格好良く、クドカン脚本、行定演出共に冴え渡り、本当に大好きな映画なのだけれど、その後「リリィ・シュシュのすべて」観たあたりから、少し違和感を感じはじめた。
結局、クボツカ君は「すこぶる格好が良い」スーパーマンだから、いつだって「俺は俺」であれるのであって、普通のオトコノコたちは、「過酷な現実」の前には、ただ黙ってるしかないのではないかと思ったのだ。
「月はどっちに出ている」の主人公、忠夫も、やっぱりスーパーマンではなくて「普通の在日朝鮮人」だから、在日である現実を前にしても、ただへらへらと、タクシー運転手として日常を過ごしている。
なかでも一番忠夫を困惑させるのは、パンチドランカーの同僚のこんなセリフだ。
「おらぁ、チョーセン人は嫌いだけど、忠さんは大好きだ」
例えば日本人であるワタシが、中国人から
「日本人は先の大戦で中国人を虐殺したから嫌いだけど、君のことは大好きだ」
とか、イラク人から
「日本はアメリカの参戦に賛同して、援助金を出して加担しているから嫌いだけど、君のことは大好きだ」
と言われたら、やっぱり「俺は俺だ」と胸を張っては言うことはできず、あいまいにへらへら笑うしかないんじゃないかと思う。
崔洋一は、登場人物をいつもタコツボのような空間に押し込めて、「置かれた本人にはどうしようもない」その境遇を、へらへらと笑って過ごす姿を描き出す。
「俺は俺だ」と暴力的に状況を超克しようとする意志に対する、実はそれは結構熱い「抵抗」なのではないかと、ワタシは密かに思っている。
(ちなみにその後、映画に影響を受けたクボツカ君が、なぜか右傾化し「凶気の桜」しちゃったのは御愛嬌)
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