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たちはら・みちぞう

立原道造・ヒアシンスハウス

  • 立原道造・ヒアシンスハウスの画像

詩人、立原道造は建築家でもあった。こと丹下健三ら戦後第一世代の建築家にとって特別な存在だったようで、夭折さえしなければ優れた理論家として戦後建築を牽引した、かもしれない。

「いま、『人生』(ダス・レーベン)をひとつの中空のボールとして考へよう。そのボールに就て、エツセイと住宅は次のように触れあつてゐると考えられはしないか。住宅する精神は、ボールの表面を包みエツセイする精神は、中空のボールの内部の凹状空間の表面を包まうとする、と。」(「住宅・エツセイ」)

立原は帝大三年生の時、こんな文章を書いている。そして、彼もヒアシンスハウスという小さな家を造ろうとして、浦和の別所沼のほとりに用地まで確保していた。けれど1939年、24才の若さで彼は亡くなってしまう。ちなみに、翌年には建築誌「新建築」で追悼小特集があった、なんて事でも、彼がいかに望まれた才能だったかが分かる…。

それから65年を経て、この自邸を建てようという動きがある。地元の人達のささやかな夢の話かと思っていたら、これがどうやらほぼ決定したらしい。肝心の用途が決まってないみたいだけど(笑・それはやっぱりまずいとおもう)ひとまずは、めでたい。ほんとうに小さな建物なので、そう遠い話でもなさそうだ。

「僕は、自分のかんがへを色鉛筆で辿らうとする。…黒い字でかんがへた思想と緑の字や青い字でかんがへた思想とは自然にどうしてもちがつてゐる」(「鉛筆・ネクタイ・窓」)

自分の頭の中のぼんやりとした考えと、鉛筆で書いた文字と、そしてこーやってキーボードで打った言葉とは、やっぱり違ってくる。建築でもスケッチと図面や模型や…ましてCADを使って設計するのでは、どう違ってくるんだろう。文字を書くにせよ図面を引くにせよ、僕らは自由になったつもりで、その実どうやら、ずいぶん鈍感になってしまったようだ。

実は、立原の考えたヒアシンスハウスもきちんとした図面はなくて、何種類かのスケッチと、おおまかな寸法とが残されているだけ。先日の会合で建築史家の鈴木博之さんは「少年の夢のような」建物と仰っていた。十分なスキルは持っていた立原だけに、もしかすると意図して夢は夢だけにしておきたかったんだろうか…それとも、死が近いことを意識してのことだろうか。それを彼に聞く事はできないけれど。

昨今、同潤会アパートはじめ戦前の建物はポカポカ壊されているし、戦前の建物を「建てよう」なんてのはただロマンティックなだけの話なのかも、しれない。でも、戦前の同潤会が解散したのも、やがて戦争にいたる体制の変化のアオリだった。こんな物騒なご時世だからこそ、こんな酔狂な話があるってだけで意味のあることに思えて、僕はなんだか嬉しくてしようがないんだ。


■立原の詩についてはこちらでどうぞ。
http://2style.net/misa/fuguruma/...
■東大弥生門前にある立原記念館。
http://www.orchid.co.jp/ ̄tatihara/tatihara.htm

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追記)
ヒアシンスハウスは2004年11月6日に竣工したそうです.詳細は以下のリンク先までどうぞ.

場所:さいたま市別所沼公園内
交通:JR埼京線 中浦和駅から徒歩5分
  :JR埼京線・武蔵野線 武蔵浦和駅から徒歩15分
時間:外観は、何時でも見学可能
  :室内は、原則として、土・日・祝日&水曜日の10時から15時まで,管理担当者(会員&ボランティア等)の指示に従ってください

■ヒアシンスハウスの会へのご案内
http://www.tachihara.jp/info2-8/...

立原道造・ヒアシンスハウス

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digm画像 投稿者:
digm
詳細情報
  • 詩人、建築家
  • 1914―1939
  • 2005/01/07更新
  • 2003/05/12登録
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