タトゥー
t.A.T.u.
実は、t.A.T.u.の音楽をきちんと聴いたことはない。テレビ画面から流れる曲を聴いただけです。その限りで言うと、キャッチーでヒット性が十分だと思った。
でも、彼らの音楽のことは置いておこう。
僕の興味は(少なくとも今のところ)、彼らの起こした“騒動”の方にある。
あの騒動は、確かに彼らの曲よりもぼくの何かに触れてくるものを持つ。彼らの振る舞いがナンなのか、捕まえてみたい気にさせる。それが結局今の日本の抱える苛立ちに何らかの形を与えることにつながっていく、と、そんな漠然とした予感があるからに他ならない……ような気がする。
(ここまでで、第1回書き込み終わり。続きはまた後で!)
捕まえてみたいもののポイントはむしろ、彼らの振る舞いがナンなのか、ということではなくて、それにほんろうされるマスコミの対応や、マスコミの報道で引き起こされるぼく自身の情動的な反応の正体(?!)の方なのかも知れない、なんて思ったりもしている。(第2回でした。第3回へ続く!)
彼らの根底にあるのが“挑戦的マネっこ”だとすれば(飽くまで仮定ですが)、この態度は元々かなり二面背反的だ、ということになるはずです。つまり、マネっこ心理の元には通常、真似る対象への“あこがれ”的な心理が働いているはずだからです(それが真似る原動力となるのでしょう)。それが挑戦的ないし攻撃的な仮面を被って出てくる理由はなんなのでしょうか。ぼくには確かなことは何も言えそうにありません。仮定の上に仮定を乗せたら……みなコケそうですもんね。
ただぼくは、漠然と、彼らが「やる気になれば、私たちはあなた達以上にうまくやることだってできるんだ!」と言っているような気がしたんですね。その“あなた達以上に”の部分で、彼らはどんどん過剰になっていくのかもしれない。(3回目の書き込み)
日本の、米国に対する態度は、戦後非常に揺れ動いている。一方で、対米追従と言われるように、重要な外向的決定がすべてと言っていいほど、米国の国益に反しない範囲で決まっていく。また一方で、反安保や嫌米といわれるようなうねりが周期的に起きてくる。
しかし、良くも悪くも米国がリーダーシップを取ってきたことは、間違いない。逆に日本は、肝心な問題で、米国のリーダーシップに正面から異を唱えたことはないと言って良いほどではないかと思う。
米国のリーダーシップが、程度の差はあっても、それなりに尊重するに値する重みのあるものであった内は、それも良かったかも知れない。だが、ここ10年ほどの米国のリーダーシップはどうだろうか?
そして、東西の一方のリーダーであった、旧ソ連がその座から滑り落ちてしまった現在、よく言われるように、米国の力はいや増しており、その意向が世界の趨勢に決定的な影響を与えることが多くなっている。
米国とソ連との両極体制であった頃は、双方を鏡として、力学が働き、自らの行動指針を立てやすい面もあったかと思う。しかし、その鏡を失った今、米国にとっても、選択肢が増えた分だけ、ある意味その選択自体はより困難になったとも考えられる。実は、日本の役割もその分重くなったはずなのである。
ぼくは(個人的な意見ですが)、日本も単に対米追従である態度を更新し、自らの判断で発言し行動することを現に始めている、と考えている。それは必ずしもうまくいっていないわけだけれど、後戻りはできない。
で、話は戻るけれど、タトゥーの行動は何か、日本にとっての小さな鏡のようにも見えた、というわけなんだな。(因果はめぐる、というのか?)
さて、今度来日するとき、日本はタトゥーをどう扱うんだろう?(また、タトゥー側にいいように“扱われ”ちゃうだけだったりしてね?!)
さて、えらそーな事を書きすぎた。これでひとまずおしまい。
2003.11.8追記
年末の武道館のコンサートチケットが余っている、というような報道が出ていた。9万人動員の予定で、7万人動員できないと赤字のところ、3万人程度しか前売りが出ていない、というような話だった。うーむ。
- 2003/11/08更新
- 2003/06/30登録
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