キャッチャー・イン・ザ・ライ
キャッチャー・イン・ザ・ライ
村上春樹訳による『ライ麦畑でつかまえて』である。ご多分に漏れず僕も十代の終わり頃古本で買って野崎訳を読んだクチだ。それ以来通しで読むのは初めてだろう。エピソードの多くは忘れており、初めて読むような感じで読むことができた。へぇ、ライ麦ってこんな話だったっけ、という具合に。
そして、途中から僕は感心しはじめた。いや、すごいじゃないか、まいったな、と。実は、初読の印象は文体的なものが一番で、後はフィービーが出てくるラストシーンの印象くらいしかない。取り留めもない話だし、主人公のホールデンにしてからが変に社会に対して反抗的なポーズをしているのがむしろ鼻につく、といった感じであったのだ。ただ、確かにあの文体は魅力的だった。実際麻薬的なところがあったな。ついつい真似しちゃいそうなくらいだった。
ところで、今回読み直してみて、僕は実際に青春時代であった初読のときよりホールデンに感情移入できたように思えたわけだけれど、何故なんだろう。
しかし、このホールデンのヨタヨタぶりはただ者じゃないって感じだ。こんなに情けない主人公はなかなか出てこない気がする。ただ情けないというんじゃないんだな。ホールデンは自分の情けなさにとことん付き合っているんだ。まさに地面にずぶずぶと沈み込むようにそれでも前進しようとする。方向も判らないのにさ。やることなすことすべてうまくいかないくせにだよ。何故かっていうと、何はなくともホールデンには、自分の中に埋まっているイノセンスに対する信憑だけはあるんだな。まさにその信憑こそがホールデンの躓きの石ではあるんだが(彼は本当に良くこの話の中で躓いてばかりいるんだ)。
その信憑に照らす限りにおいて、ホールデンには見るもの皆うんざりするものばかりになってしまう。実際彼自身そんな自分を持て余しているに違いない。全てにうんざりすれば、つかまる支えすらなくして沈んで行くしかない。ホールデンにとっては兄のDB、死んでしまった弟のアリー、そして妹のフィービーくらいしか本当に心許せる人間はいない。問題なのは、家族以外で一番ホールデンが好意を持っていたと思われるジェーン・ギャラガーとは、物語のリアルタイムの時間には結局会えないし(会うチャンスがあってもホールデン自身がそう言う気分じゃないと言い訳して会わない)、電話で話すことも結局できないままだ。好意を持つことができる大人としてはわずかにシスターとアントリーニ先生くらいか登場しないが、そのシスターには最後に煙草の煙を吹きかけてしまうし、アントリーニ先生のところからは、ゲイ的なことを仕掛けられたと感じると真偽のほども確かめずに逃げ出してまう。
イノセンスに対する信憑を持ち続けることが、おそらくは(戦火をくぐり抜けた)サリンジャーのほとんど唯一の拠り所だったのだ。その同じ拠り所がまさしくサリンジャー自身を他のすべてから分け隔てずぶずぶと沈ませかねないものでもあったのではないかと思う。今、サリンジャーと書いたけれど、これはホールデンと書いても同じことなんだよね。その後のサリンジャーをみると、この背反性は結局のところうまく解消されなかった、と言うべきなんだろうけれど、ここでのサリンジャーは、自分の見えない将来に向かってホールデンとともに懸命に手探りしている。物語の最後になっても、単に一時期の休みをサナトリウムのようなところで得ているだけで、何の結論もない。9月からは学校に戻る、つまり振り出しに戻っただけなんだが、その切羽詰まった気持ちだけはしっかりと手渡されるわけだよね、「君」にも。
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コメント (1)
2003/07/28
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