イキルヨロコビ
生きる歓び
「私はまるで小さい子どもが花をきれいだと思ったときに花を描くような気分で、そのことを小説か何かに書きたいと思った。そういう気持ちを持ったのことははじめてだった。」(「生きる歓び」)
「生きる歓び」は保坂和志の50ページ弱ほどの短い小説です。『生きる歓び』に収録されています。
「私」はその妻である「彼女」と彼女の母親の墓参りに行った折に弱った子猫に出会い、子猫を連れて帰ることになる.小説は、食べ物をやっても抵抗するこの猫を世話する時間と、その時間の中で生じた実感を記録していく.そして「赤身も小さい頭の小さい口からスルスルスルスルあまり見たことのない何か別のメカニズムで飲み込むようにして食べていった」と記される猫の回復.この回復のプロセス(の観察)の中で作者が実感したと言うのが、「生きることは歓び」ということ。
この実感は、「生きている歓び」だとか「生きている苦しみ」のような「人間」を主体にした判断とは区別されていて、「生命」を主体にした時に計れるものだという。「人間」を主体にした判断とは、「言葉」による判断と言っていい。「生きる歓び」は「言葉」による判断に先がける。でも、「生きる歓び」というフレーズというか、言葉というか、字面を、こうして取り出してきてしまうと、彼がこの小説で描こうとした「生きる歓び」という実感からは離れてしまって、仰々しくなってしまう。だからやっぱり、この小説を読んで感じてもらうしかない。
猫の回復の兆しの記述の後から終わりまでの数ページ、草間彌生と盲目の少年ピアニストについての話を、先の「生きる歓び」という実感をゆるやかに引きずりながら読む体験も、「こういうの他にはないかもなー」という感じです。
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『生きる歓び』には、保坂さんにとって重要な作家であるという田中小実昌を追悼したテキストも入っています。後書きに「感謝の気持ちを伝えるために、私は、まずは一目でわかる”量”で表現することにした」と記されているように80ページ強もある長い追悼文。
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