ヒャクニンノコドモタチガレッシャヲマッテイル
100人の子どもたちが列車を待っている
そこは貧しい村である。食事は一日一食、子どもたちは学校にもあまりいけず、路上でものを売ったりくずひろいをしたりして働いている。勿論映画館など行ったこともない。
そんな彼等に「映画の授業」を行う教師。と言っても単に映画を見せるわけではない。まず全員に初期の映像装置「ソーマトロープ」をつくらせ、残像によって連続した映像が見える原理を理解させるのだ。更にゾーイトロープ、エジソンのキネトスコープを作らせ、まさに映画の発達の歴史を体で味わわせるのである。決して簡単とは言えないその授業に、子どもたちは夢中になる。まるで映画を知らない昔の人々が、次第に発達する映像の世界に魅せられていったように。
そしてようやく彼等は世界初の映画、リュミエール兄弟の「列車の到着」を観るに至る。かつてパリのグラン・カフェに集った人々さながらに、くいいるように映像に見入る子どもたち。次第に生徒の数は増え、最早教会は大入満員である。初めはどんよりしていた子どもたちの表情が、日に日に輝いていくのがはっきりとわかる。そしてはっきりと感じるのだ、フィルムの中で列車を待つ人々と同じように、子どもたちはこんなにも映画を待っていたのだ、と。
生活に追われて学業は放棄してしまった彼等も、映画の授業だけは欠かさない。人間にはやはり映像が必要なのだ。そして更におどろくべきは、彼等の親が映画の授業を通して自分の子どもを「発見」することである。「うちの子がこんなに覚えがいいなんて知らなかったよ」と驚きを隠せない父親。彼にとっては自分の子どもはその成長を見守るべきものではなく、共に稼いでいくパートナーなのであろう。一人一人の子どもの個性についてなど、考えたこともなかったのかもしれない。親たちとて、映画館に行ったことがないのは同じである。
やがて子どもたちは自分たちの映画を作り始める。彼等が選んだテーマは「民主化デモ」。画用紙に一人一コマの割り当てで絵を描く。一人の女の子がクレヨンで描いた絵を見せてにこやかに、「このおばさん死んでるの」。急に彼等の冷ややかな現実が私達を襲う。そうだ、映画教室に興じる一方、彼等は不安定な政情の中死と隣り合わせで生きているのだ。
教師は何も言わない。子供達の絵をつなぎ合わせ、大きな大きなフィルムを作る。それを電車ゴッコのように掲げて、映画館まで行進する子どもたち。彼等の列車が今、到着した…。
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