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グノーシス

グノーシス主義 (Gnosticism)

 「死人たちは生きていないのであり、
  生きている者は死なないであろう」『トマスによる福音書』


 従来の一般的な解説において、グノーシス主義 (Gnosticism) とは、紀元2世紀頃をそのピーク期とする、紀元1世紀から3世紀にわたる約三百年のあいだに初期キリスト教界内部で起こった異端運動、ないしは、キリスト教における最初にして最大の分派的異端思想を意味するとされる。異端とみなされる原因となった旧約聖書の権威の否定、さらには、「霊的世界」と「現世」とを対立させ、前者すなわち霊的世界にのみ重きを置き、後者すなわち現世の価値を全て否定しようとする「反現世的二元論 (anti-cosmic dualism)」をその特徴とする。*1

 1945年、エジプトのナグ・ハマディという小さな町で、ある偶然から大量のグノーシス文献が発見された。現在「ナグ・ハマディ文書」と呼ばれているこれらの貴重な資料群の発見とそれに伴う文献史的研究の結果、グノーシス主義についての従来の理解に修正が加えられつつある。

 具体的には、グノーシス主義とは、原始キリスト教とほぼ同時代に、キリスト教とは無関係に発生した別の宗教運動であり、その発展の途上でキリスト教との交流が起きた結果、キリスト教の諸要素がグノーシス主義のなかに入り込み、また反対に、グノーシス主義の神話や概念がキリスト教の神学形成に影響を及ぼしたのだということ、つまり、グノーシス主義は、元来、キリスト教の異端だったのではなく、異教だったということが明らかになってきている。

 さらにここから、「歴史的思想としてのグノーシス主義」と「一般的宗教体験の基盤としてのグノーシス=霊的認識」とを区別して考える必要が生じるようになり、後者の意味におけるグノーシス主義は「原グノーシス主義 (Proto-Gnosticism)」と呼ばれ、「歴史的因果関係なしに、いつでも、どこでも見いだされる宗教体験ないしは宗教的世界観の形式」とされている(荒井献『原始キリスト教とグノーシス主義』)*2。

 荒井献はグノーシス主義の本質的モチーフとして次の4つの点を指摘している(Cf. 湯浅泰雄『ユングとキリスト教』,第2章「グノーシス主義」)。

(1) 反現世的(反宇宙的)二元論 (anti-cosmic dualism) :
 世界を「物質的あるいは感覚的次元」と「その次元を超えた精神的あるいは霊的次元」のふたつの領域に分け、後者により高い価値をおく世界観を示す。ゆえにグノーシス主義の宇宙観はキリスト教の宇宙観に比べて明らかに二元的な構造を持つ(ただし、キリスト教はその人間観において霊肉二元論的傾向が強い。宇宙観における二元性の問題と人間観における霊肉二元論の問題とを混同しないように)

(2) 人間本来の自己性と至高者の同質性の認識 :
 人間の肉的身体の根底には「本来の自己性」ともいうべき霊的本性が存在するが、普通の状態においてこの自己性は肉的身体の底に隠れ、霊的世界の存在を認識できない「無知(アグノーシス)」の状態にある。だが「霊的認識すなわちグノーシス」に到達することで、この「無知(アグノーシス)」の状態から「本来の自己」への覚醒が可能となるとされる。さらに、この「本来の自己性」は、霊的世界の至高の存在と通ずるものとみなされ、ここから、グノーシスに到達した先達としてのイエス像が提示されると同時に、グノーシスに達し「本来の自己」に目覚めた者すべてが、本質的に神的な一性に生きる者という点でイエスと同質だと考えられることになる。つまり、グノーシスに到達した時、そのひととイエスとのあいだにある / あった(はずの)決定的な違いは消失することになる。

(3) 至高者または彼によって遣わされた者による認識の啓示 (つまり、神を認識することは自己を認識することでもあり、逆もまた然りという構造になってるということ):
 本来の自己性と霊的体験の領域を発見し認識してゆく過程が、霊的認識としてのグノーシス、すなわち、原グノーシス体験である。これは上からの霊的導きにより、見失われている本来の自己性との再統合へと進む自己認識の道でもある。歴史的グノーシス主義ではここにキリスト教の救済者理念が取り入れられる。

(4) 超歴史的文化神話 そして 宗教におけるエロス的要素の復権:
 このような宇宙観と人間観が徹底されると、感覚的世界における歴史的事象は軽視され、グノーシスによって開示される永遠な霊的世界の遍在が重視されることになる。そこで、歴史的グノーシス主義においても、キリスト教教義がもつ非歴史的な解釈あるいは神話論的解釈が重んじられるようになる。その神話は、オリエント神話の影響を強く受け、さらには「エロス的要素」を重んじるところにその特徴が見られる(たとえば、教父文書には「性」に関する表現がなかったが、他方、ナグ・ハマディー文書にはストレートな性表現が頻出する)。

【NOTES】
*1 ただし、グノーシス主義者とされる人々は、新約聖書のなかにも登場しており(たとえば「使徒列伝」8章の魔術師シモン)、さらにはヨハネ福音書や三位一体の教義のなかにもグノーシスの影響が入っているとされる。
*2 こうした新たな理解によって、現代におけるグノーシス主義といったテーマを論じる可能性が開けてくることになる。たとえば、現在出版されている英語版ナグ・ハマディー文書(改訂第3版)のあとがきには、グノーシス主義と現代との関連性について論じるにあたり、ジャック・ケルアックや P.K. ディックなどの現代作家の名前が挙げられている。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/...

【参考文献】
◇Hans Jonas, The Gnostic Religion: The Message of the Alien God & the Beginnings of Christianity (1958; 『グノーシスの宗教』1986)
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◇Elaine Pagels, The Gnostic Gospels (1979; 『ナグ・ハマディ写本――初期キリスト教の正統と異端』1996):
この本のなかでペイゲルスは、初期キリスト教界内部における正統(正統的教父たちの教義)と異端(グノーシス主義者たち)との論争の中心が、もっぱら聖書の記述についての「解釈」の問題に関わるものだったことを明らかにしている。それはさしずめ、字義的解釈と比喩的・象徴的解釈とのあいだで繰り広げられる権力闘争の如きもので、現在、正統とされているキリスト教神学が確立する過程において、多くのレトリカルな操作が意図的に行われていたという事実にわたしたちの目を開かせてくれます。わたしがグノーシス主義に関心を持つようになるきっかけとなった本です。
◇荒井献『原始キリスト教とグノーシス主義』(1971)
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◇湯浅泰雄『ユングとキリスト教』(1978; 講談社学術文庫 1996)
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◇ナグ・ハマディ文書邦訳:
『ナグ・ハマディ文書 I ――救済神話』(1997)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/...
『ナグ・ハマディ文書 II ――福音書』(1998)
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『ナグ・ハマディ文書 III ――教説・書簡』(1998)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/...
『ナグ・ハマディ文書 IV ―― 黙示録』(1998)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/...

誤字等に修正を加えました。(Oct. 24, 6:51p.m. Lucy)

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Lucy
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  • エレーヌ・ペイゲルス (Elaine Pagels)『ナグ・ハマディ写本 (The Gnostic Gospels)』
  • 2003/10/24更新
  • 2003/10/23登録
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2003/10/24

雲衣。 いま中見真理の『柳宗悦/時代と思想』を読んでいます。柳に関する主要な著述はほとんど眼を通しているつもりですが、これは柳研究に欠かせない最も重要な本になるでしょう。 ブレイクや「神秘道」あるいは「二元論」の東洋的理解、アナーキズムとの連環などとても優れた著作です。そういえばグノーシスとシュルレアリスムの関係も大変に面白いです。僕の中では柳宗悦とアンドレ・ブルトンは深いところで通底しています。

Lucy 中見真理の『柳宗悦/時代と思想』はとても重要な研究だとわたしも認識しています。柳宗悦という人物のすごさがますます分かるようになってきました。わたしも柳宗悦についてのKWを登録したいくらいなのですが、あまりに大きすぎてためらっています。グノーシスとシュルレアリスムの関係ですか。これまで両者を結び付けて考えたことがなかったのでびっくりです。これからは両者の関係についてちょっと意識的になってみようと思いました。ありがとうございます。

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