『ヘリコプター/春の祭典』アンジュラン・プレルジョカージュ
11月8日。新国立劇場にてアンジュラン・プレルジョカージュ振付の『ヘリコプター/春の祭典』を観ました。
ヘリコプターは、インタラクティブな映像を使っていました。
幕が開いたらまるでヘリコプターのローターが回る映像が舞台に描かれる。ローターの回転音とともに映像も回転を加速し飛び立ってゆく。ダンサーが現れると舞台は、まるで雲海のようにダンサーがその映像の「流れ」に入ると「気流」がダンサーの周りに出現する映像に変わる。次々に映像が「気流」から「水の波紋」のように変化しダンサーの動きとインタラクティブに映像が作動していた。ダンサーは、ヘリコプターのようにクルクル回ったりもするのだが、身体機械とも言うべく無機質な身体そのものを描いている印象を受けたのでした。
『ヘリコプター弦楽四重奏曲』という音楽は、常にヘリコプターの機械音が響いていて、あきらかにボクの身体は催眠の方へ向かってゆきました。それが、目覚めることへの拒絶だったのかどうか・・・。
『春の祭典』はニジンスキーだったかストラヴィンスキーの音楽のこの作品は、色々な振付家が手掛けていますね。
ピナ・バウシュの『緑の大地』を観ているので最初、目に飛び込んできた緑の舞台装置が、安っぽく感じたのですが、ダンスを観ていたらそんな事は、どうでもいいと感じるほど、身体というよりも人間の「本質」をダンスにしているのだと思った。
欲望、暴力、狂気、疎外と人間らしさの、ハザマ。選ばれし者とは、権力の無い者であったり、弱い者だったり、病人だったり、犠牲者だったり。そのような人たちが消えたいと思う欲望のダンスだったような狂気のダンスだったような、強烈な身体を提示され圧倒されて終わったのでした。しかし、裸体のダンスは実体を感じつつも人間の身体であることは、拒絶していたように消失していた。
ぐったり。けど、凄い。
人間の『本質』という問題。本質に帰すことは安易なのか難しいのか。軍隊の行進とダンスは、対極にみえつつも人間から生まれた双生児なのだろうか?
ふと、思った。選ばれし者は、戦場にいる全ての人なのかもしれない。
ついつい『春の祭典 第一次世界大戦とモダン・エイジの誕生』という本を古本屋で購入してしまいました。
http://www.francedanse03.jp/...
- 振付:アンジュラン・プレルジョカージュ
- バレエ プレルジョカージュ
- エクサンプロバンス国立振付センター
- Photo: Regine Will
- 2003/11/10更新
- 2003/11/10登録
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