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20歳の死 (はたちのし)

フランスの現在活動中の映画監督で一等(いいすぎでしょうかね)といったら、のデプレシャンの処女作。

4年ぶりに見て再感動しました。

「そして僕は恋をする。」や「魂を救え!」とかよりこれが好きで、僕にとって一つの思い出になるエポック的な作品でした。その経緯を少し。

僕はこれを見たとき15くらいで、例えばトレインスポッティング、エヴァンゲリオン、レディオヘッドがOKコンピュータを出したりしたころ。自分では、そろそろ代官山とか行かなくなったり、映画も小説もカルチャーよりに変わったり=スピルバーグよりゴダールになっていったような頃。きっかけの一つはこれだった。

要点を書くなら、儀式的な雰囲気だ。「部屋に年頃の親戚連中が、同じく年頃のいとこの一人が死んだ葬式で集まっていて、みんなでわいわいぎみにじゃれあってる一室で誰かが悪い冗談をいう。やいなや、みんながばっとテーブルに触る」というプロット。

テーブルに触ったのか、なにか木製のものに触ったりとか、なのではないかと思う。この儀式的な雰囲気。これにやられた。
このイメージが僕にはほとんど一つの原風景になってる。あれからいろんな芸術表現を目にしてきたけど、この、なんのため?とつきつめると答えのでない作業。芸術表現。「儀式」。これを僕はいたるところでみつけた。
それが創作を意図する人々の、ある程度までは技法として現れるが、そこから先は、祈り、偏執に近い根本、だとしった。春樹は元養鶏所にピンボールマシンを並べ、「世界の終わり」にては、老人に(その穴がなんらかの用途をもつわけではない純粋にそのためだけの)穴を彫らせる儀式的な仕事をさせ、オースターは車を走らせることにその儀式を表現したりした。

この儀式感覚をこの作品はもっていて、それがなんというかとても清潔な感じで表現されている。象徴的記号、「散弾銃での自殺」とか「死への親しみを持つ血筋」とか「明け方またから静かに流れてしまう血」とかそういう。ああ美しいなあ。すげーなあデプレシャンは。と思う。

世の中でそれまでに僕がみてきたのは「ストーリーがなにかの説得のために組まれてる」ものだった。現代に見れる童話の多くは元は話がめちゃくちゃで両義的だったんだけど、今はわかりやすいように(というより固まった安易な教育にふさわしく)単一的な話に作り返られてるらしい。とかレヴィーストロースかなんかで読んだ。

そして僕は恋をする、とかはストーリーがある。そこそこ素敵な。でも20歳の恋はもうちょい、(それこそ「葬式」的な)「ストーリーが止まったあとの芸術」がある。

僕にとってとても重要なことに、僕はこれをみた頃に創作をするようになった。これも結構凄い事実だ。世界内在的だ。欲求の源泉なるものに理由がないこと、世界で誰かが最初にスイッチを押したんだとして、そのスイッチは誰かが用意したというような無限後退を眺めて頭が可笑しくならないための、あきらめ。創作。

aiueo画像 投稿者:
aiueo
  • 2004/03/15更新
  • 2004/03/15登録
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