青山真治監督『路地へ』(2000)
実際に中上健次が記録した消えゆく紀州の“路地”での映像を交えながら、ある作家がそこへと旅をし朗読する作品。内容については特筆することはありませんが、監督の手法でとても興味深い部分がありました。
■サントラ:山林に囲まれた国道を路地へと下っていく導入部には、フィラメント(厳密には+ギュンターミラー。あとグラウンド・ゼロも途中に流れます)が使われています。フィラメントとはゴーゴゴゴ…ピッゴッ…ゴゴーという電子音を奏でる人たちだと思ってください。そしてラストの失われていく路地を見出し、失われていくことにたたずむ2つのシーンでは、坂本龍一のなんとも耽美な曲が使われています。この2つを選択する感覚というか、受容する意識は、うまくいえないけれど身に覚えがありました。つまり、形式の極北ともいえるフィラメントと、とても感情的で時代錯誤な教授の両極を志向する感覚です。もちろん、これは身を蓋もない話だとも思っていますが、原因はもしかしたら、ヒエラルキーを保つことで成立しているある種の音楽において、その両極を含むことでしか機能しないんじゃないか?と。
青山真治は映像においても同じ感覚、同じ手法を持ちこんでいるかに見えます。中上健次の多くは知りませんが(ここがポイント)、それでも映画として成立させている――遠慮ない音楽、恐怖、居心地の悪さ、中上のピンぼけ、停滞感…これらの映像はあまり個々では心地よくはないけれど、一方で意味(ありげ)のヒエラルキーを形作る満足感をあたえ、ラストのキラキラと輝く波頭を映しながら耽美なピアノが流れるシーンで、日頃は拒絶するカタストロフィーに身を置いてしまう――これは形式にはまりこんだ人に向けられた、ねじれたテクニックです。あまり中上を知らない僕のような人も、安直でありながら巧妙な満足感をえて帰っていくのです。
「あぁ路地は失われたのか」と。ホントは何も失われていない。
- 2004/06/29登録
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