人間は進歩してきたのか―現代文明論 上 「西欧近代」再考
この本は著者の佐伯啓思教授が京大で行っている「現代文明総論」という授業をもとに書かれているとのこと。
まぁあいかわらず長いんですが3本目の線まででも読んでいただけると幸いです。
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自分のような理系出身のものが書いて正しく内容が伝わるかどうか分からないけれどともかく、
第1章は近代を論じる手がかりとして9.11テロとイラク攻撃の背景にある歴史観についてとりあげている。「歴史の終わり」フランシス・フクヤマ 1989 は、社会主義の崩壊を予言し、その結果として「歴史が終わる」といった。これは人類の歴史は、さまざまな抑圧との闘争、そして解放への意欲が作ってきたという考え方に基づく。しかし9.11テロが起こりあらたな脅威が現れた。「文明を守る戦い」とはこの脅威との戦い。
フクヤマの議論は単純ではあるが、基本的な考えはヘーゲルにある。が、ヘーゲルそのものというよりヘーゲルを独自解釈したコジェーブを踏まえている。単純に言えば、人間は動物と違い他人に承認されたい。人間の生とは「承認をめぐる闘争」だということになる。そしてその中で命を厭わず戦った強者が敗れたものを支配するというもの。フクヤマ的に言えば「優越願望」こそが人を駆り立てている。だから時には名誉や、家族、国のために命をかけたりする。
ところが別の考え方としてホッブズ(下参照)など人は生命財産の安全、生活の安定をもとめて社会をつくるという考えもある。前者がヘーゲルを産んだドイツやフランスで支配的だとすれば、後者はイギリスなどアングロ・サクソン系国家で支配的な考えと言えるだろう。
また、「西欧は近代化するはるか以前から西欧だったのだ」と『文明の衝突』のハンチントン(同じくハンチントンの『文明の衝突と21世紀の日本』は読みました)の言葉を借りるなど、近代化=西欧化という見方に疑問を投げかける。ハンチントンは西欧社会の特徴は、イスラム、中国、ロシア、インド、等が共有できるものではありえず、特にイスラム、中国は西欧に対抗し時には衝突すると予測する(日本はそのいずれにも属さない独特の孤立した文明で、西欧と中国の間で不安定な状態になるだろうとの事)。まぁ有名な説だとは思いますが、これで間違ってないですよね?
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2,3,4章は、西欧近代の成り立ちを追っていくわけですが、簡単にまとめると、「近代」は、決して合理的主義や民主的精神が忠誠の封建制を打ち倒して出てきたというものではないということ。時代順に人名とその主張や、社会に与えた影響などをまとめると、
ルター:
「九十五箇条の論題」によってそれまでヨーロッパ秩序の最大の権威だったローマ教会に異を唱え、聖書が信仰のよりどころであるという聖書主義の立場をとり、それまではラテン語かギリシャ語のみで書かれていた聖書を翻訳した。これらのことによりルターに共感し、教会に反旗を翻す領主がでてきたり、例えば「ドイツ語で聖書を読む」という共通性をもつ集団が現れる。宗教と政治は混乱し100年戦争と呼ばれる大混乱が巻き起こる。 → ウェストファリア条約によって国家を収めるのがだれてあれ、宗教や教会ではなく国家に最高の権力を与えるようになった。
ホッブズ:
イギリスはローマ教会の支配から脱してイギリス国教会を作ろうとするが、大陸から本物のプロテスタント(カルバン派いわゆるピューリタン)が入ってきて、伝統的なカトリックと三者で激しく対立することになった。その混乱を収めるためにホッブズが考えた理論は、自然状態では人間はあらゆることが許される。このことが万人に戦争状態をもたらす。これを回避するために、力を行使する権利を主権者(個人であれ、合議体であれ)にゆだねるという契約を全員がする。 → これによって生命の安全確保が出来る。またウェストファリア条約で生まれた国家の最高権力を正当化する理論になった。
ロック:(ルソーの前に一言ふれておきましょうという扱い)
人は自然状態で人のものを略奪するよりも自分で土地を手に入れ働いて必要なものを作るだろう。ここでは争いを収めることより、働いて得たものの所有権を認める事が重要と成る。ホッブズが法は主権者が決めるとしたのに対し、所有権は始めから認められている権利とした。 → ある程度の土地をもつ新興のイギリスのブルジョア層から支持を得る。小作人を働かせるだけで財を得るのは自然権に反すると考える。
ルソー:(一見単純だが実は理解するのは非常に難しいとのこと)
ホッブズの理論の、市民が武装解除した状態では結局市民の生命・財産は守られないかもしれない。自由を失わない契約をする必要がある。全ての人を主権者にしなければいけない。しかしルソーは統治者と主権者を分けている。主権者が主権者でいるためには、国家が国民をの生命を守っているから、場合によっては国民は命をかけて国家を守らなくてはいけない。
民主制については、『「民主制もしくは人民政治ほど内乱・内紛の起こりやすい政治形態はない・というのは、民主制ほど烈しくしかも絶えず政体が変わりやすいものは無く、その存続に、警戒と勇気が要求されるものは無いからである」(第三篇 第四章)』『もし神々からなる人民があれば、その人民は民主制をとるであろう』p131 と皮肉めいて書いているそうです。 実際主権者から選ばれたのだから、統治者の意志が国民の意思だ。統治者に反する者は国民の敵だ、となれば独裁になりフランス革命のような独裁におちいる危険もあります。まぁ一般意思、特殊意思、全体意思など難しい概念も出てくるので、詳しくは本で読んでください。
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第5章ではフランス革命とアメリカの革命を『革命について』(ハンナ・アレント 1963)にそった形で比較しています。アメリカの革命は何もないところに権力を創出しなければならなかった。実際には州ごとに政府もあったのでそれらを連邦主義で結合した(イギリスとの戦争にも必要だった)。またアメリカでは権力の創出に関わること、政府の創出に関わること、そこにこそ人間の自由がある。公的な世界で人々の賞賛を得ることここに自由の意味がある(このような精神は現在でも続いているそうです ← 目から鱗が落ちた気がしました)。
一方フランス革命は反権力的な怒り恨みで動かされていた。人民主権は特権階級からの権力の奪取のために唱えられ、権力の破壊の衝動を伴っていて権力をつくるという手順は持っていなかった。貴族でも僧侶でもない財産を持っていないものだけが国民と呼ばれた。
イギリス人のバークは1789年にフランス革命が勃発すると翌1790年にフランス革命が大混乱に陥ることを予測した。バークは「世襲の原理」を唱え『支配権力の正当性は、その正当な継承によるしかありえない』p163といってイギリスの政治体制(君主制)はフランスより優れているといったそうです(バークは保守派の祖)。
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6章はマックス・ウェーバーをもとに西欧の個人主義をキリスト教との関係という、ただひとつの側面から論じています。
ウェーバーに従えば西欧の個人的主義とは、まず合理的経済人として生まれてきたといってよいでしょう p183。ウェーバーによればプロテスタントのなかのカルヴァン派の教えが資本主義ときわめて適合的な精神を生み出したという p174。
カルヴァン派は、神は救済を決めている(「救済の予定説」)が人間には決して分からないとする p177。「救いの確証」を得たいが、それは消して主観的なものであっては成らず、客観的な尺度が好まれる。信仰心が厚く、慎ましやかに暮らして富を得ることは貨幣という客観的尺度だから好まれる p180。これが合理的な会計、近代的経営につながり近代資本主義となる p181。
しかも「予定説」においても「救いの確証」を得たいので、神の目線に立ったかのように一方で自己を超越的立場におき、他方で対照としての自己を客観化し自己を規律化する p185-p186。そこから非常に強い義務感。自己管理の責任が生まれる p187。
もう一つ、ピューリタンでは、生まれた時に自動的に属する教会ではなく、独自の信仰の組織を作っていかなければいけない p188。これが社会全体に広がると社会契約の考えになる p190。「私」は誰にも干渉されない信仰生活。社会生活は「公」の世界で客観的である必要がある。だから「公」の世界では、行動は縁故などによらず共通のルールのもとで客観化される 。こうして「公」「私」は区別される p191。
※ページはそのままの引用ではないけど、元の文章の大体の目安。自信が無いのでつけました。
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7章 不安な個人の誕生
引き続きウェーバー。ウェーバーは西欧の近代化、合理化に決して満足はしていない。むしろ人間が合理的なものに取り込まれてしまう「人間は鉄の檻に入れられる」と表現した(例として官僚制)p201-202。近代的経営が合理化され組織化されるにつれ本来の宗教的倫理も見失われ、組織が硬直し人間はただ組織の歯車のようになっていく。人間が宗教を見失えば勤勉の精神は単なる自己利益の追求になる p205。
近代的市民の道徳概念をまとめると「誠実さ(sincerity)」といってよいだろう。神に対しても社会に対しても誠実であること、そのことによって他人の「信頼(トラスト)」を得ることこれが近代的市民の道徳である p207。禁欲的な自己制御や鍛錬が客観的な形で認識されることを期待する p208。ところが「救いの確証」は結局は得られないから神への「絶対的帰依」はいつまでも続かない。しかしキリスト教が力を失っても自己制御の構造だけは残ってしまう p210。
神が主体を支えてくれるのではなく自分で自分を支えなければならないこの状況でこそ近代的個人主義が誕生する p211。神や救済のためでなく自分のために自分で自分を管理しなくてはならない p212。
「誠実さ」はもともと神に対して生まれてきたものだが、結局誠実であるという社会的評価を受けることが目的化する。するとなんのために誠実に生きるのか、せいぜい「誠実な人だと思われたい」という程度になり、本当に誠実かどうかは問題でなくなる p213-215。
ルソーは社会や社交の場では自分は自分に誠実ではありえないという意識をもっている。本当の自己をむりに押さえ込むことによって、ようやく誠実な自我が形成される。その時道徳的人間など虚偽の姿だという心理が浮かび上がる p216-217。神を確信できれば確信をもって自己をコントロールできる。しかし信仰が揺らぐと、他人から「誠実だ」と思われることは自己制御を続ける根拠にならない。だから自分の中に「確かな根拠」を求めようとする。これが「本当の自己」への探求となる p218。
このあとフロイトの精神分析学との類似性の話になる。「自我」の背後の抑圧された無意識である「エス」。自我は意識的理性的に自己を動かしているように見えるが、実際には、エスの欲動に突き動かされている。それだけでは社会的に自己をうまく制御できないそこで自我を動かすいっそう強力な別の主体が「超自我」 p219。超自我は絶対的権威としてカントのいう定言名法、すなわち無条件に従わなければならない道徳的命令をあたえる p220。フロイトの仮説では、神なき近代社会では、家族の中で父親を内面化する事によって超自我は形成できるとされる p222。
それからミッシェル・フーコーの『監獄の誕生』の話。近代社会のモデルとして哲学者ベンサムの設計したパノプティコンという監獄を取り上げている。円形を等分した扇形の独房。その中心に監視者がいるが、監視者から独房内部が見えるが、独房からは監視者の姿が見えないように薄いカーテンでもたらしておく。独房では監視者が常にいると思って生活するしかない これをフーコーは「規律・訓練型権力」と名づけるが、フーコーによれば、これは決して刑務所に限られず、学校、工場、病院など近代社会のありとあらゆるところに見られる p224-226。
プロテスタントの宗教的個人モデルときわめて近い。このモデルがもう一歩進めばもはや神は不要となるだろう p230-231。
※比較的そのまま引用した部分が多いが、ページ数は大体の目安。
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9/16 追加
8章 西欧進歩主義への壁
西欧近代は普遍化できるかという疑問について。西欧近代は「近代主義」「進歩主義」を高く掲げて推し進められてきた p237。近代主義(古い価値を打ち壊し、新たなものがつくられ進歩するとする考え。本書ではこの立場をとっていないが)が問題を持つとすれば、それは、古典古代やキリスト教という目に見えない支柱を失い、確かな価値をもちえず不安定化せざる得ない事 p241-242。
プロテスタンティズムのような神への強固な信仰があって、ようやく宗教的個人が成立する。そして「宗教的」な要素が衰弱するにつれて、近代的個人主義の考えが生まれる。ところが「個人」は管理する自己と、管理される自己への分裂を常にはらんでいる。管理する自己はそれなりの権威を必要とするが、これが神で無いとすれば共同体や家族の中で「父なるもの」として作り出すほかない。ところが個人の自由や平等の意識は「父なるもの」の権威を認めない。ここでは権力からの自由を求めるという「近代主義」も意味を失ってしまう。権威や権力もほとんど自壊してしまっているからである。 p244-p245。
逆に、自己の欲望を管理して道徳的に振る舞い、社会生活をきちんと送ればそれで近代主義は成功するかというと、そうではない。そのことを述べたのがフーコーのパノプティコンのモデルである p245。民主社会は、中心的な政治権力の位置をもたないが、合理的に編成され道徳的な倫理観を確立することが管理を生みだす p247。エリアスは「文明化」とは、個人が自分で衝動を抑制し、感情を制御することを学習するプロセスだと述べている。この「文明化」した個人こそフーコーの言う規律・訓練型の権力そのものである。するとここでは権力と自由を対立させることは出来ない p249。
次に西欧の近代社会をキリスト教社会の延長ととらえ徹底的に批判した人物として、ニーチェ(『ニーチェ入門』という本についても書いているので、よろしかったら読んでください)を本書と関係するポイントに絞って紹介している。まず道徳の起源はなんなのか。「善(ドイツ語でグート)」「悪(ベーゼ)」の基準は行為の受け手にある。しかし元々はそうでなく「善」とは「高貴なもの」「優秀なもの」を意味していて、その反対は「劣悪なもの」「卑小なもの」を含意する、「悪(シュレヒト)」だった(ここらへん『日本人なら知っておきたい神道』のよし、あしと読み比べてみても面白いと思いますが)。これがキリスト教的道徳観のなかで今のような意味になった。これが何を意味するかというと、本来善悪を決めるのは、行為の受けて出なく行為の主体である優れたものであるということ。人間には高貴なものを実現できるもの(強者)と、そうでない者(弱者)がいる(これはニーチェだけでなくもともとヘーゲルが言っている)。強者が価値の基準を作り出し、弱者はそれに従う。しかし弱者は強者による支配に対する「ルサンチマン」を持ち、弱者は力を合わせて強者を倒し自分達が強者支配しようとする。ニーチェによれば強者の価値は自分自身の基準によって作り出されたものだが、弱者の道徳は自分より優れたものに対する「否」から生まれている。弱者は、強者を倒して支配を確立しようとしたとき自分達には道徳的な正しさ、正義があるというが、それはあくまで弱者のルサンチマン、いいかえれば権力欲である。ニーチェに従えば、近代市民社会の自由や平等といったものは基本的に弱者のルサンチマンと権力欲が生み出した欺瞞である p253-255
ここからニーチェの決定的な認識、現代はニヒリズムの時代であるという認識が発生する。キリスト教徒の禁欲的道徳、近代人の自由、平等、誠実さなどの価値観は虚偽であり無根拠である。無のものを信じていることがニヒリズムの一つ目の意味 p258。また善悪の基準も無くなる。キリスト教徒なら聖書を基準にすることも出来るが、聖書が意味の無いものだとすると説得力のある答えは不可能になる。これがニヒリズムの二つ目の意味。こうすると確かなものは何もなくなってしまう p259。ここから「冷笑主義(シニシズム)」「快楽主義(ヘドニズム)」「熱狂主義(ファナティシズム)」が生まれる p260。
またもう一つのニヒリズムがある「科学主義(サイエンティズム)」である。この場合の科学は近代の実証主義科学。これは事実を集めてきて、ある命題が事実に即しているかどうかを検証する。世界の背後にある隠された真理が問題なのではなく、命題の持つ真実の妥当性が問題となる p261。
最後まとめ。「近代とはなにか」という問いに答えは出せるはずは無いが、十分な回答は得られなくても、一定の見通しを与えることが重要だと思われる。現代文明を考えるための足場は、このような認識から出発すべき。西欧近代が普遍化するほど、それはその確かな意味を失っていく。我々はそのようなディレンマの中に生きている。このことを知らなくてはならない。我々が未だその中に囚われている進歩主義、西欧主義の普遍化という理念は一世紀前に既に破綻している。その状況から我々は出発せざる得ない。
※ページ数は大体の目安。下巻には人間の本質とは「力への意思である」とニーチェは言っている。より高いもの、大きなもの、偉大なものへいたろうとする意思を人間は持っている。人間はこの力への意思によって突き動かされ世界を作り出していく、能動的ニヒリズムなんて話もありますが p67-69、もう書かないと思います。長々とすみませんでした。
PHP新書 現代文明論 上 人間は進歩してきたのか
「西欧近代」再考
佐伯啓思著
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コメント (10)
最新コメント5件
2004/10/04
lightcyan ニーチェの部分、道徳の起源はなんなのか。グート、シュレヒトのあたり追加。
2005/01/29
半無人 よさげな本ですね。ご紹介ありがとう。
2006/09/03
oyaoya ♪ 失礼ですが、これだけの多量の文書を入力されると大変ではありませんか。
興味があるのですが、かなorローマ字入力ですか。当方、マンマシンインターフェイスに興味がありますので。
lightcyan たしかに大変ですねー。ただ自分の好きな部分が電子化されているとそれ以上のメリットがあると思っています。
入力はローマ字入力です。入力方法より本を開いたまま固定するような何かの方が重要な気がします。今のところ適当なものをおもしにしていますが。
oyaoya ♪ 早速のお返事ありがとうございます。当方は親指シフトですが、確かに本の固定方法は工夫がいりますね。私は、大きめ(金属製)のブックスタンドで押さえています。
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