まらるめのことば
マラルメの言葉(書簡編)
19世紀フランスの詩人マラルメの若き日の書簡から痺れるフレーズを抜き出して見ました。
自分の理解した範囲で蛇足に簡単な解説を加えると、当時のマラルメは二十代前半。ボードレールの影響下から抜け出そうと、ポオの詩学に躍起になって取り組んでいた頃。
ここでマラルメが理解していたポオの詩学とは簡単に言えば、まず従来の詩の様に詩の内容が最初にあってそれからその内容を表現するのにふさわしい言葉を選んで詩句を構築するのではなく、逆に言葉が読者に与えるインパクト=効果から計算して詩句を構築すること。こうした考え方はポオ自身が「大鴉」の製作法を述べた「構成の哲理」からの影響がうかがえるが、このポオの文章は、韜晦趣味で書かれたものともいわれ、当時の人々も本気には受け取らなかった。このポオが面白半分に書いたものとも思われるものを、真面目に受け取って、その方法論を徹底的に推し進めたのがマラルメともいえる。マラルメはこうして言葉に深く沈潜した結果、詩句がかけない、失語症、自分の姿を鏡の中に見出すことができない等を周囲の人に訴える深刻な精神上の危機が訪れることになる。というのは、言葉の奥に深く潜ればもぐるほど、言葉自体は何も意味しないという近代の言語学者ソシュールもぶち当たった問題、言葉の虚無が足もとに口をあけているのだから。もちろん若気の至り感も見逃せないところ。
そして、友人への手紙の中にたびたび現れる自らの死の宣言。ここでのマラルメの「私の死」宣言は、アルチュール・ランボーの「私は一人の他者である」宣言と同じようにモデルニテの幕開けを予兆する。
「事物ではなく、それが生み出す効果を描くこと」
(1864、10.30 友人カザリス宛書簡)
「一つの笑み割れた柘榴のようなエロディアード」
「…そうだ、僕は知っている、僕たちは物質の虚しい形態にすぎないのだ。-しかし実に崇高な形態だ、〈神〉と僕達の魂を考え出したのだから。…」
(1866、4 カザリス宛)
「破壊が僕のベアトリーチェだった」
「…僕は一ヶ月前から〈美学〉の最も純粋な氷河にいると君に告げることになるだろう-〈虚無〉を見出した後、〈美しいもの〉を見出したのだ。…」
(1866、7 カザリス宛)
「僕は死んだ、そして僕の窮極の精神の宝石を開く鍵をもって蘇った。」(同年7.16オーバネル宛)
「僕は恐ろしい一年を過ごしたところだ。僕の〈思考〉はそれ自体を〈思考〉し、そして〈純粋観念〉に達した。この長い苦悶の間、僕の存在が反作用として苦しんだことすべては、とても語りつくせないが、しかし、幸いなことに、僕は完全に死んだのだ。そして僕の〈精神〉が踏み込むことのできる不純な地帯さえ〈永遠〉である。-」
(1867.5.14カザリス)
「私は、大いなる感受性によって、〈詩〉と〈宇宙〉との内密な相関関係を理解したのであり、〈詩〉を純粋たらしめるために、〈詩〉を〈夢〉と〈偶然〉から抜け出させ、宇宙の概念と併置しようという計画を抱きました」
「私の方は、二年この方、〈夢〉をその観念の裸形の中に見るという罪を犯してきました。本当は〈夢〉と私の間に音楽と忘却の神秘を積み重ねるべきだったのですが。」(1868,4.22 コペー宛)
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コメント (4)
2005/06/16
祥 ずっと気になりつつ、そのままにしているマラルメ。う~ん、やはり様々な観点で(主題/狙いと方法との関係、どこまでがアリなのか、自分内の基準、他者の興味と考えのあり方、等々)興味深いです。そろそろ大まかにでも把握していきたいと思います。
2005/06/17
Rume たまには、フランス文らしきことでもやろうかと思って、書いてみました。マラルメって凄いとかステキとか思ってくれる人が増えるといいなあ。
2005/06/19
雲衣。 とても面白かった。です
Rume どうもありがとうございます。とはいえ、ほとんどマラルメの手紙の引用ですが。解説に関しては、ちょっと偏ってるかもしれません。
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