聖地の想像力 なぜ人は聖地をめざすのか
扉を開くと、サン・ミシェル・デギュイユ礼拝堂(フランス、ル・ピュイ)の写真に、まず真っ先に目をひかれた。「穏やかな田園地帯にくさびのように打ち込まれた石塊」(106ページ)の上にそそり立つこの礼拝堂は、キリスト教3大聖地のひとつ、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラに巡礼する際のフランス側の起点のひとつとなっているという。
これまで20年間、世界中のさまざまな宗教の聖地をおとずれた著者が、ほとんど共通して出会ったものは「石」であった。南インドは、ドラヴィダ文化によるドルメン、ストーンサークル(環状列石)、岩石刻文の宝庫であり、パルテノン神殿が建てられたアテネの小高い丘は、実は巨大な石の塊なのだそうだ。日本の石舞台古墳や磐座(いわくら)も石そのものであり、春日大社の創建と密接なかかわりをもつと思われる磐座の存在も指摘されている。
著者がかかげる聖地の定義は、次の9つ。
01 聖地はわずか一センチたりとも場所を移動しない。
02 聖地はきわめてシンプルな石組みをメルクマールとする。
03 聖地は「この世に存在しない場所」である。
04 聖地は光の記憶をたどる場所である。
05 聖地は「もうひとつのネットワーク」を形成する。
06 聖地には世界軸 axis mundi が貫通しており、一種のメモリーバンク(記憶装置)として機能する。
07 聖地は母体回帰願望と結びつく。
08 聖地とは夢見の場所である。
09 聖地では感覚の再編成が行われる。
これらの定義をそれぞれ詳細に例証し、「聖地」以前に「石」があり、「石」が「聖地」を決定づけたという事実が、次々と解明されていく。
聖地論のそもそもの疑問は、「なぜある特定の場所にはポテンシャルがあって、別の場所にはマイナスの力しか働かないのか。なぜある場所には磁力があってたくさんの人を集めるのに、ある場所はいかようにしても無人のままなのか」(5ページ)。(巨大で重い)石が移動しない以上、聖地を別の場所に移すのは難しい。石のない場所も、はたして聖地になるのか。一方で、聖地が移動しないからこそ、巡礼の旅や道が人々にさまざまな恵みを与えてきたともいえる。
著者の目下の仕事は、「『人間が集まることによって特殊な磁場が形成されそこが聖地となる』という未来的な問題にいかにアプローチするか」。パオロ・ソレリ、フンデルトヴァッサー、荒川修作、ジェームズ・タレルなどの仕事が題材になるという。
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