『兼子』(映画)
工業デザイナーの柳宗理さんのお母様であり、日本民藝館元館長で宗理さんのお父様の柳宗悦氏の夫人でもある柳兼子さんについてのドキュメンタリー映画。
『兼子』という映画を見て、兼子さんの歌う日本歌曲の数々に感動を覚えました。もともと童謡などの日本歌曲は好んで聴いていましたが、兼子さんが歌われると歌の持つ力が強く迫ってくるようで、さらに歌の魅力を感じることが出来ました。そして何よりも兼子さんの
「みなさん、年を取ると歌えなくなるのではなくて、歌わなくなるんでしょ」
という言葉には、はっとさせられました。
以下映画の紹介文より引用します。
柳 兼子 1982(明治25年)~1984(昭和59年)
日本有数のアルト声楽家、柳兼子のドキュメンタリー。87 歳まで現役の歌手として活躍した兼子が歌う日本歌曲を織り交ぜながら、夫となる柳宗悦との出会いなど、兼子の人間性に迫る作品。和服姿で凛と歌いあげる兼子の姿に、日本語の美しさ、力強さも改めて実感できるはず。
〈アルトの声楽家として18歳から87歳まで演奏活動を続け、92歳、死の2ヶ月前まで後進の指導にあたった柳兼子。明治・大正・昭和を生きた彼女の音楽活動そのものが「わが国の生きた音楽史」ともいわれています。また兼子は夫、柳宗悦の白樺派の文化活動、民芸運動にも妻として、声楽家として協力、経済的にも大きく貢献しました。そして、母として、3人の子供たちの養育にも力をそそぎました。兼子を敬愛する人々20人の、インタビューによって描き出されるのは、激動の時代を生きた一人の女性の心の軌跡です。兼子晩年の演奏は、日本歌曲の詩歌に込められた、日本の美しい言葉の復権です。兼子は言っています。「芸術は心である」とー。 -『兼子』チラシよりー〉
- 2005/11/02更新
- 2005/11/01登録
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コメント (4)
2005/11/01
雲衣。 こんなドキュメントフィルムができていたのですね。いつか機会を得て観たいと思います。
lilac 雲衣。さんこんにちは。私も期せずして観た映画だったのですが、兼子さんの存在を知ることが出来たことと、日本の歌の奥深さを再発見することが出来て嬉しかったです。次男で美術史家の柳宗玄氏は、お母様が大好きだった様子がインタビューによくあらわれていて微笑ましい様子でした。CDも何枚か出ていたので、こちらも聴いてみたいところです。
雲衣。 いま読んでいる『柳宗悦と民藝運動』に収載されたある論文によれば《兼子は柳宗悦の手紙を一通残らず大切に保存していた。宗悦も兼子の手紙をすべて残していた。二人の往復書簡集だけで一書が編めると、全集の編集を担当した辰巳四郎氏が語っていたが、それができれば確かに近代恋愛史に残る愛の書簡集となるであろう。》とありました。明治43年に始まり大正3年に二人が結婚するまで柳が出したものだけで139通にのぼるそうです。熊倉功夫『手紙の中の柳宗悦』より、、
2005/11/02
lilac 朝鮮の光化門の移築や日本民藝館の展示にも、兼子の存在なくしては成し得なかったことを思うと、兼子という人は芸術家として立派だっただけでなく、妻としても宗悦のすることに深く共鳴していたことが分かります。
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