黒田清輝、岸田劉生の時代 -コレクションにみる明治・大正の画家たち
1)銀座である。白昼堂々である。
ギャラリーの、通りに面した壁に磔にされた絵の、女のこの色気は何だ!
黒田清輝は危険!真の芸術家にして性の蒐集家!チョイワルじゃなくて極ワルな明治の艶雄!
ああこの女に会いに箱根に行きたい。女の寝そべる、この爽やかな風吹く野辺で、共に木漏れ日を浴びつづけていたい。
2)19世紀末、【チューブ入り絵の具】の発明により、それまで薄暗いアトリエに閉じ込められていた画家たちが、日の当たる戸外へと開放され、その喜びと色彩あふれた一連の絵画は、印象派と名づけられたという。
フランスから印象派を持ち帰った黒田もまた、その技法や流行を伝えたのみならず、それまで日本の画壇が頑なに守ってきた因習やしがらみから逃れ、戸外へ、日の光のもとへと美術を引きずりだした。
そのとき、黒田はさらに、屋内での秘め事をも、白日に曝したのだ。芸術の名において。
当時、黒田の裸婦像は『風俗壊乱である』と批判された。それに対し黒田は
『どう考へても裸体画を春画と見做す理屈が何処に有る(中略)日本の美術の将来に取つても裸体画の悪いと云事は決してない悪いどころか必要なのだ大に奨励す可きだ』
と言っている。
明治にあって、『春画』とは風俗壊乱に過ぎぬ、というのは後世の目から見ればずいぶんと窮屈に思える。むしろおおらかで、至福にあふれ、そうして庶民の生活に強く結びついた江戸期のそれを、現代人である我々が『春画』と定義するならば、黒田の絵はまさしく『春画』に他ならない、と思う。
■黒田清輝、岸田劉生の時代 -コレクションにみる明治・大正の画家たち
【会場】ポーラ美術館(箱根)
- 2005/12/19登録
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2005/12/20
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