村上春樹『風の歌を聴け』
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」
今更この小説について僕みたいなものが書くことはあまりない。ただこの有名な冒頭の文章について、ひとつだけ述べておきたい。
文章を書く者にとって完璧な文章が存在しないということは、完璧な絶望である。この矛盾は、例えば「像としての言葉といったら形容矛盾にしかならないが、作品が文学として実現するのは、極論すればこの形容矛盾いがいではない」(吉本隆明「像としての文学」)という言葉に近いかもしれない。矛盾するものをいかにして書くか。この小説の冒頭部分はそのことを暗示している。
完璧な文章が存在しないなら、その文章によって構成される小説も完璧ではありえない。完璧な小説などありえないという前提において小説はいかにあるべきか。ノートにかかれたリスト? それもひとつのあり方である。村上氏は『風の歌』において、三島由紀夫に象徴される「完璧な物語」が崩壊した後の小説のあり方を模索していたのかもしれない。
完璧な文章が存在しない世界における小説。それは完璧がない世界において完璧を作ろうとする徒労に他ならない。しかし今までとは違うやり方でなら、可能かもしれない。そういう想いが、この小説を作り上げている。
『羊をめぐる冒険』以降村上氏は小説に物語を導入する。彼の小説が小説らしくなるのは、物語に依存するからである。完璧な文章を放棄することによって、完璧な小説を夢見、徒労を重ねていく。『風の歌』が彼の小説の中でも異質なのは、その姿勢のために他ならない。
- 2006/05/05更新
- 2006/02/07登録
- 1140クリック
このキーワードはコミュニティに選ばれています(1)
- メイン
- コメント(0)
- つながり(0)
- トラックバック(0)
コメント (0)
まだコメントされていません。
つながりキーワード (0)
まだキーワードがつながっていません。






黒と茶の幻想
太宰治『津軽』
月の裏側


