藤沢周『ブエノスアイレス午前零時』
都会での仕事に失敗し田舎のホテルに勤めるカザマ。横浜で娼婦をしていた、ブエノスアイレスを空想するミツコ。こことは違うどこかを思う二人はホテルのダンスホールで踊りながら、カザマはブエノスアイレスを思う。
叶うことのない現実とは違う希望。この境界線を書き続けた藤沢氏は超えられない境界を、老婆の妄想に近い希望と重ねることによって、引き伸ばすことに成功した。それは逆に言えば、決して超えられないことも明らかにしたが、文章の幻想はとても美しい。
と書いておいて、気づいたことが1つ。文章が美しくて、幻想的で、官能的。しかも雪国ということで、川端康成氏の『雪国』との類似点。『雪国』が「他者にけっして出会わないようにするために作り出された他の世界である」(柄谷行人「近代日本の批評 昭和前期1」)とするなら、『ブエノスアイレス』もカザマとミツコは同化しており、他者が消去されている。ミツコという曇った鏡を覗き込んだだけである。他者の消去による研ぎ澄まされた美しい文章。文学が置かれている状況は戦前とあまり変わっていない。
- 2006/04/08更新
- 2006/04/06登録
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