ワガハイハネコデアル
我輩は猫である
初めて読んだのは10歳の時。
学校の推薦図書であったこの本をを父親が買い与えてくれたのがきっかけだった。
私はあまり笑わない子供だったそうだ。
その私がこの「我輩は猫である」を読み出したとたんキャッキャと笑い出したそうだ。当時の私は明治の文豪の本を布団に持ち込んで眠るまで読んでしまうくらいお気に召したようだ。
それから20年後。
先日実家に帰った際、なにげなく手に取ったこの本は三十路の私をとても楽しませた。布団に持ち込みクックッと笑いながら読んだ。
さすがは日本の紙幣の顔にまでなる男。
笑わない子供の笑いのツボを捉えて、感受性の薄れてきた厄年の女の笑いまで誘うとは。
ユーモアとは時代の流れによって常に変容していくものだと思っていたが「我輩は猫である」は普遍のユーモアを証明してくれた。
名前のない猫の視線の洞察力の高さ。クシャミ先生をはじめとする猫を取り巻く人間の個性。おもしろい。劇的な事件は起きない。ただ日常を生きる人間の生活を書いているだけだ。なのに、おもしろくてしかたがない。
滑稽に立ち回る人間達。それを冷静に眺める猫。このコントラストがたまらない。
【名作はいつの時代も色あせない】
手垢のついたような言葉を敢えて使いたくなるような見事な作品。
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