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		<title>ワタナbシンゴの関心空間キーワード</title>
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		<description>＜(oξo)＞</description>
		<language>ja</language>
			<copyright>Copyright 2012, Kanshin!, Inc.</copyright>
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			<pubDate>Thu, 13 Mar 2003 16:28:11 +0900</pubDate>
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					<title>戦争が始まろうとしている・まなざしの記憶/石原吉郎と後藤勝</title>
					<link>http://www.kanshin.com/keyword/270869</link>
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							<![CDATA[<img src="http://storage.kanshin.com/free/.s.100x100/img_8/83862/780067573.jpg"  width="64" height="100" />]]><![CDATA[<br/>]]>
						<![CDATA[アメリカ軍によるイラク攻撃が秒読み段階だとマスコミは連日伝えている。今朝の朝日新聞の船橋洋一のコラム－人間の痛みと苦しみへの想像力を戦争を伝えるメディアが奪っている。と2人の大学教授の話。<br />
<br />
<br />
9.11のときにも感じたことだが、人の死が無名性のなかに埋もれていくことは絶対に許されてはいけない。ニューヨークで許されるべきない死（死とはだれにとっても不条理なものではあるが）に直面した人々に対して、メディアは豊富な情報量と、詳細な描写で、ひとりの具体的な人間の死を世界中の人々に伝えた。<br />
<br />
<br />
一方、多国籍軍の爆撃を受け、許されるべきない死においこまれたアフガンの市民は30人死亡、40人死亡という単位でしか語られない死である。少なくとも日本にいるわたしたちには。そして、おそらくイラク攻撃が始まれば、多くの市民たちが、不条理な死の機会にさらされ、そのひとりひとりの死の無名に取り扱うメディアが、ますますわたしたちの「痛…]]>
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					<author>ワタナbシンゴ</author>
						<category>ノンカテゴリー</category>
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					<pubDate>Thu, 13 Mar 2003 16:28:11 +0900</pubDate>
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					<title>アマルティア・セン 『経済開発と自由』</title>
					<link>http://www.kanshin.com/keyword/270435</link>
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							<![CDATA[<img src="http://storage.kanshin.com/free/.s.100x100/img_8/83698/1170035764.jpg"  width="70" height="100" />]]><![CDATA[<br/>]]>
						<![CDATA[ハイエク、バーリンらの自由至上主義派は、人間の活動を妨げる制約要因を除去するような「消極的自由」に関心を集中した。しかしセンにおいては、そのケーパビリティーの理論の中で、基本活動（センの言うところの機能）の組み合わせの幅を広げることを人間の根底に据え、「積極的自由」を重要視することからはじめた。<br />
<br />
<br />
センの思想の根底をなす考えがケーパビリティー論だが、その基礎としてエンタイトルメントという考え方がある。エンタイトルメントとは、すべての人間が、ある社会の成員として原初的に所有する権利から獲得されうる財サービスへのアクセスを指している。また、人々は互いのエンタイトルメントを交換し合うことによって自らの厚生を高めていく。<br />
<br />
<br />
『貧困と飢饉』（sen1981）でも述べられているように、エンタイトルメントは人権を保障する物的基盤を指す概念だが、ある人々の権力行使によって、他者にとっては自らのエンタイトルメントが…]]>
					</description>
					<author>ワタナbシンゴ</author>
						<category>書籍</category>
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					<pubDate>Wed, 12 Mar 2003 16:54:12 +0900</pubDate>
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					<title>ミシェル・フーコー</title>
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							<![CDATA[<img src="http://storage.kanshin.com/free/.s.100x100/img_8/83512/2117913266.jpg"  width="76" height="71" />]]><![CDATA[<br/>]]>
						<![CDATA[フーコーは既成のの道徳観念に縛られることなくかつのそれらにとらわれない自由な人間像を模索してきた。同時代的にはレヴィ＝ストロースが、西洋中心主義の概念に外部の空間性を提示し、ヨーロッパに対する近代批判を行い、フーコーはヨーロッパ近代の巧みに隠蔽されてきた権力の構造を明らかにし、権力によらない「主体化」の可能性を見出す方向に進んだ。<br />
<br />
 <br />
権力は構造的形態を常にとり、構造とはすなわちシステムである。例えば、ヴァレラなどの生物学の立場から提唱されているオートポエシスシステム論は、システムに対する分析を行っている。構成要素がはじめに存在するのではなく、システムの作動によって構成要素が産出され、今度は産出された構成要素同士の関係によってシステムが再生産されるという循環関係を何よりも強調する。そして、システムは自己を産出する不断の過程であり、しかも、そこで産出されたシステム内・外を分ける境界線は産出過…]]>
					</description>
					<author>ワタナbシンゴ</author>
						<category>人名・団体名</category>
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					<pubDate>Mon, 25 Aug 2003 12:05:15 +0900</pubDate>
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					<title>ベネディクト・アンダーソン 『想像の共同体』</title>
					<link>http://www.kanshin.com/keyword/269533</link>
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							<![CDATA[<img src="http://storage.kanshin.com/free/.s.100x100/img_8/83389/1018371186.gif"  width="67" height="100" />]]><![CDATA[<br/>]]>
						<![CDATA[中世ヨーロッパにおいて生じた「出版資本主義」は、人々に「均質で空虚な時間」という観念を与え、そこに想像されうるあるべき国民の姿というものを作り出した。人間の言語多様性の上に「出版資本主義」が出現し、「巡礼の旅」「言語学・辞書編纂革命」「海賊版の制作」「公定ナショナリズム」等の概念で語られる「想像の共同体」の世界規模での形成が、本書では順序立てて説明されている。<br />
 <br />
<br />
興味深いのは、筆者がヨーロッパやアメリカ大陸のみならず、アジアにおけるナショナリズムの形成過程についても論じている点である。日本の明治期以降のナショナリズム変遷を詳しく説明するものとして小熊英二の『単一民族神話の起源』（1995）があげられるが、本書や同書の中でもふれられているように、日本では、比較的に一つの民族によって統治されていたため、討幕後薩長が天皇を中心とした「公定ナショナリズム」を作り上げることに成功する。一方、筆者が主に研…]]>
					</description>
					<author>ワタナbシンゴ</author>
						<category>書籍</category>
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					<pubDate>Wed, 12 Mar 2003 17:00:35 +0900</pubDate>
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					<title>ロゼッタ</title>
					<link>http://www.kanshin.com/keyword/267190</link>
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							<![CDATA[<img src="http://storage.kanshin.com/free/.s.100x100/img_8/82592/1120618924.jpg"  width="100" height="65" />]]><![CDATA[<br/>]]>
						<![CDATA[リュック＆ジャン＝ピエール・ダルデンヌ監督作品<br />
この作品は1999年に<br />
カンヌ国際映画祭パルムドールをとっている。<br />
<br />
映画について何の先入観も情報も<br />
ほとんどなく作品を見た。<br />
一見して評価はかなりわかれる映画だと思う。<br />
ぼくは非常にすばらしい作品だと、<br />
見終わって時間がたてばたつほど<br />
その思いは強くなっていった。<br />
この作品の持つ、見るものに対しての<br />
懐の広さを感じている。<br />
でも、手法やカメラワークなど<br />
かなり孤高なスタイルの映画なので<br />
その地点で入っていけない人にとっては、<br />
ただ退屈で苦痛な作品ということに<br />
なってしまうかもしれない。<br />
<br />
 <br />
物語の面白さ、映像の美しさ、非日常の迫力など<br />
映画の楽しみは無数にある。<br />
映画は腐ってもやはりエンターテイメントだ。<br />
けれども、派手な楽しみかただけが<br />
映画のすべてはない。<br />
このロゼッタのように<br />
映画の中での無駄な説明的要素もなく、<br />
音楽も一切なく、会話もあまりなく、<br />
物語の…]]>
					</description>
					<author>ワタナbシンゴ</author>
						<category>映画・ビデオ</category>
					<comments>http://www.kanshin.com/keyword/267190</comments>
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					<pubDate>Thu, 06 Mar 2003 23:02:24 +0900</pubDate>
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			<item>
					<title>音楽の根源にあるもの</title>
					<link>http://www.kanshin.com/keyword/237069</link>
					<description>
							<![CDATA[<img src="http://storage.kanshin.com/free/.s.100x100/img_7/72419/193990922.jpg"  width="69" height="100" />]]><![CDATA[<br/>]]>
						<![CDATA[「音楽の根源にあるもの」<br />
小泉文夫著　平凡社ライブラリー　1994<br />
<br />
<br />
一気に読みほした。<br />
<br />
ここのところずっと生活からの音楽<br />
ということを考えているが<br />
とても示唆に富んだ箇所がいくつもあった。<br />
<br />
<br />
たとえばリズムについて。<br />
リズムというのはヒトにとって<br />
本源的なものだとぼくは思っていたのだが、<br />
身体に内在する「リズムへの志向」が<br />
どのような形であらわれてくるかは、<br />
どんな風に食べ物を確保し暮らしを営んでいるか、<br />
そしてそれに基づく成員相互の関係性のあり方に<br />
かかわってくるという視点。<br />
実際に足を運び、<br />
さまざまな民族の音楽の収集から<br />
それらのことが提示されていてとても興味深い。<br />
<br />
<br />
音楽の原型について書かれたくだりは<br />
ぼくらが普段やっていることと同じで<br />
とても共感できた。<br />
<br />
音楽は、演奏家が奏でるものでもなければ<br />
ライブでじっとして聞いているものでもない。<br />
場があって、即興的に歌がうまれ<br />
その生活の場、コミュニテ…]]>
					</description>
					<author>ワタナbシンゴ</author>
						<category>ミュージック</category>
					<comments>http://www.kanshin.com/keyword/237069</comments>
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					<pubDate>Tue, 14 Jan 2003 15:36:38 +0900</pubDate>
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