2005/09/06
夏の終わりのサンセット。
肌を射す太陽がこんなにも
心地よく感じられたのは
何年振りだろう
繰り返しの毎日も
空の無い大阪の街も
窮屈な夜行バスも
時間つぶしの朝マックも
無理から記憶の引き出しに押し込んで
鍵をかけてその鍵を海に投げ捨てた
と思ってたのに
部屋に戻るとスペアキーがありました
だから来年は
スペアキーを投げ捨てに
行きますよってに
2005/02/07
金魚をミキサーにかけた二人。
一人目はデンマーク人アーティストのマルコ・エヴァリスッティ。ミキサーの中に水を張って金魚を泳がせ「お望みならばスイッチを入れても構いません」というメッセージとともに10台並べる。それを作品として展示。勿論来館者が好奇心でスイッチを押すと金魚は瞬く間に細かく切り刻まれる。彼曰く、「人々に良識との戦いをさせたかった」「見る人を生と死のジレンマに置きたかった」とのこと。
二人目は大阪在住アーティストの桑島秀樹。同じくミキサーに金魚を泳がせてスイッチを入れ、赤い塊が細かく水中に拡がっていく光景が写真におさめられている。それと同時に、2,3匹の金魚が入った透明の袋、つまり金魚すくいで持ち帰る状態のものが壁一面に吊られている。全部で200~300匹。そして大きな水槽がふたつ、大きな魚の入った水槽と水を張っただけの空の水槽。この200~300匹の金魚は全てこの大きな魚の餌として命を失うことになっているが、来館者に持ち帰られるか、空の水槽に移された金魚だけは助かるというもの。
どちらに対しても批難の声は多々ありますが、私はこの二人に明らかな違いを感じます。前者は実際に展示を観たわけではなく、他の作品も知らないので思い違いをしているかも知れないのですが、誰にも何のしあわせももたらさないように思います。好奇心でボタンを押してしまう人にも、そのせいで死んでしまう金魚にも。有益な意図が汲み取れません。それに対して後者は、餌として沢山の金魚が死んでいくことに違和感を感じ、その状況を改善したいという意図が感じられます。衝撃的な写真は多くの人を惹きつけるため、そして現状に対する違和感を意識して貰うため。何もしないで何にも変わらないよりは、1匹の金魚をミキサーにかけることで多くの金魚の命がたすかるかもしれないのです。
2005/01/22
安定は情熱を殺し、不安は情熱を掻き立てる。
ある友人と恋愛について考える。
気になる異性が現れる。会うたび話をするたびごとに魅かれる。どう思われているのかが気になる。思い切って想いを告げる。幸運にも相手も同じ想いを抱いてくれていて付き合う。付き合っている状態に安心して、それ以前のように気に入られたい好きと思われたいという感情からの言動がお互いになくなる。悪い意味で気を遣わなくなる。狎れる。厭きる。そしてはなればなれに。というよくあるパターン。
安心したいから付き合うというかたちを求め、その求めた安定により情熱を失うのでは。それ以前に、付き合うという契約はその言葉を交わした瞬間にのみ有効で、その後気持ちが変わらないことを保証するものには成り得ないはずなのに。というのも、人の気持ちに絶対なんてことは今この瞬間を除けば過去にも未来にも有り得なくて、記憶なんて曖昧なものだし、永遠の愛を誓ったふたりでも離別することはあります。
だから「付き合う」という状態を安定と捉えきってしまわずに、いつ厭きられるかわからないくらいの不安な気持ちを持ち合わせることで、愛しの王子(若しくは仔猫ちゃん)に絶えず情熱を注ぎ続けられればいいね。ということに。
2004/12/26
しあわせは決まっていつも突然訪れる。
突然のお誘いに夜の街を足早に歩いたので、或いはこれから始まる素敵な時間に少し興奮していたのでパーティはまだ始まってもいないのにちょっとだけ息が切れていました。一緒にいた友だちはもっとあっちに行きたそうだったけれど、気持ちを落ち着かせる為に気付かないふりをしてみる。「クリスマスみたいで奇麗ね」「なんてことない緑と赤のイルミネーションなのにね」3時間後、口笛を吹きながら自転車で家路へ向かう私を振り返る人を振り返ると、6年前に出会った女の子でした。







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