物自体、とは。
Aさんを前にして、わたしはこう思う。いったいこのひと、何者なんだろう、と。 そしてまた、Bさんをまえにしても、わたしは、おなじくこう思う。いったいこのひと、何者なんだろう、と。 わたしが、彼らのことを、分からないことには、変わりはない。しかしその分からなさの、それぞれの質は、まったく異なってもいるのだ。 つまりAさんは、まぎれもなく、具体的存在として、わたしの目の前に、Aさんとして居る。そしてその具体性に基づきつつ、「いったい何者なんだろ...
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Aさんを前にして、わたしはこう思う。いったいこのひと、何者なんだろう、と。 そしてまた、Bさんをまえにしても、わたしは、おなじくこう思う。いったいこのひと、何者なんだろう、と。 わたしが、彼らのことを、分からないことには、変わりはない。しかしその分からなさの、それぞれの質は、まったく異なってもいるのだ。 つまりAさんは、まぎれもなく、具体的存在として、わたしの目の前に、Aさんとして居る。そしてその具体性に基づきつつ、「いったい何者なんだろ...
閑さや 岩にしみ入る 蝉のこえ むろん蝉の声そのものが、しずかであるはずはない。そうではなくて、「岩にしみ入る蝉の声」という、その様が、しずかさなのである。 蝉は、けたたましくないている。むろん、音として、それはなき続けてている。 岩は無数に転がっている。森の中に、人知れず、人の目に触れることなく、岩は無数に、転がっている。たしかに、目の前にも、岩はあるだろう。しかしその岩だけではなく、岩は、この森に、無数に転がっているはずだ。 まさに...
日本を日本として語ったり、あるいは男を男として語ったり、あるいはアメリカ人をアメリカ人として語ったりする、その手の言説は、多かれ少なかれ、過度に、妄想的にならざるをえないのだ。一般概念とは、どうしたって、妄想的である他ないのだ。「木の葉」は、たしかに「木の葉」であるが、しかし「木の葉」一般には、現実の「木の葉」の、多様な形は、まったく消え去っていて、だから「木の葉」という言葉を、いくらながめたところで、現実の木の葉の、一枚一枚の、無限の差異など...
「心の美しさが歌に表れている人でした。永遠に友達です」 矢野顕子 「ひとつだけ」 with矢野顕子 「スローバラード」 withサンボマスター 「雨上がりの夜空に」 ザ・タイマーズ イン 夜のヒットスタジオ 世間知らず 「イマジン」 「君が僕を知っている」 with Chabo 「ラブミーテンダー」 「どうもありがとう、あいしてます、バイバイ、またあいましょう、またあおうぜ!」 ...
