2010/03/18
ぼくの空き地につくしが生えたよ
…そんなお知らせ。べつに採って食べたりはしません。冬の間に剪定と草むしりを済ませて、今はぱかりと木蓮が咲くのを待つばかりだ。むくげは蟻牧のつかぬうち木酢液をふっておかねばなあ。大葉とバジルの種も頃合いにばら蒔こう。空き地があればちゅんちゅんと雀が集まり餌をついばみ、猫はごろりとふわ草の上で休む。一昨年には牛蛙の主も居たが、去年は声を聞かなんだ。空き地はいいな、もっと増えないかな。
OK GOの新譜「Of the Blue Colour of the Sky」がちくしょういいな買おうかなと思っていたら、プロデューサーがデイブ・フリッドマンでまたちくしょうまんまと踊らされた。何だよアイツ。いい仕事すんなあ。PVの方も話題ですので、興味のある方は是非。
2010/03/11
訃報
http://www.barks.jp/news/?...
http://www.sparklehorse.com/
Sparklehorseのマーク・リンカスが2010年3月6日、自殺。
うぉうえ………
2010/03/10
不在
終電間際の電車を乗継ぎ、めいめい勝手に喋り歩く人混みにげんなりする。乗り込んだ電車では、人山の向こうから奇声が聞こえていた。別段珍しいことでもないので聞こえるままに聞き流していたのだが、そのうちドン!ガン!と電車の窓に頭を打ちつけはじめる。折しも昔のサラリーマンは毎朝毎夜、かように常軌を逸した状況に放り込まれて数十年、よくも気が違わなかったものだなどと思っていたものだから、さもありなん。何かのっぴきならないことがあったのかなあ、あれだけ強く打ちつけて大丈夫なのかなあ、くも膜下出血とかならないのかなあ、とやや同情的な気持ちになってしまった。いくら満員電車が常軌を逸してようと、それを押してなおその生活に信じるものがあれば耐えられたのか。お金、名誉、会社、家、経済成長、平和、神仏、主義。白けた蛍光灯の下に晒されて、欺瞞も幻想も等しく糾弾される。信仰の不在こそこの閉塞した社会の病ではないのか。つまり、あれだよ。信じるってのはどうやんだよ、と。
…明日7時起きだなんて信じたくない。(ぐうたら)
2010/03/07
so long
ながいものにはまかれろ。
という警句が気になる。むしろ「ながい」という形容詞の茫洋としたムードに惹かれると言ってもいいかも知れない。ヘビ、ながすぎる。などもいい例だが「ながい」ということにはどこか途方もなさと間抜けさが共存しているようで、その途方もないものに相対した際にふいに訪れる諦観の入り交じった笑いに惹かれているのだろうか。や、なんか笑っちゃうじゃん?およそ自分の手に負えない事態に直面したりするとさ。笑うしかないというのもあるが…。いろんなものを通り越して、自然ふっと込み上げてしまうというか。
警句の話に戻ると。まあ、こういったものは大概気の利いたことを言っているのだが、その実よりもそもそも「ながいもの」って何だよ?とか、そんな正体のよく分からない茫洋とした「ながいもの」に「まかれよう」という心持ちだとか、あるいはまさにそれを何喰わぬ顔で自らにまきつける様子、男(女の人でもいいですけど)の所作と表情を夢想するだに…ひどく可笑しい。まず肩からかける者。腰へまく者。手首へまく者。たすきへまく者。足下から順繰りに上へまく者。…まき方も人それぞれ個性が見て取れ、飽きもせずこれだけを眺めていたくなる。
個人的には彼らが言う「ながいもの」は、何かのっぺりとした饂飩のようなものであり、太さはそうさな目見当で20cmくらいだろうか。色は白から生成で、ひどくながい。触り心地は柔らかく、綿を詰めた布団のようでもあるが、木綿よりもきめが細かく、かといって絹ほど滑らず艶はない。特に湿っている様子もなく、さらりとした手触りだ。確かにそこには「まけば?」というアフォーダンスがあり、傍らに落ちていれば誰しもふいとその身にまいてみたくなるような、抗いがたい魅力を持っている。果たしてこれは一体何であろうかと思いつつも、気付けば小さな衝動が身体を動かしている…。そんなものだ。或いは妖怪の類いなのかも知れない。
…なんてことをバイクで走りながら考えていたのだが、結局こういうことらしい。知ってみればどうということはない。だが、僕の中ではこれからも「ながいもの」は巨大な饂飩のようなものであり続けるのだ。だから画像は一本饂飩な。
2010/03/01
幻想
…春ですか。そうですか。季節が巡るうち、過去ばかりが嵩んで重くなり、では今この春、何をかなさんとの問いに途方に暮れるばかりである。
さて。Warの「Why can't we be friends?」が激名曲であることに異論はないだろうが…。僕はこの曲を「Why could we be friends?」という意味だと勝手に勘違いしており、別れの歌なのだと思っていた。つまり、大切な人との別れに際して「オレとお前は何で友達になったんだっけなあ」と共に過ごした日々のよしなしごとを振り返り、ひとり思い出し笑いしたり苦笑いしながら、ちょっと寂しく愛おしく、でもまんざらでもない気持ちで送り出す、そんな歌なんじゃないかなと。だからこそあの曲調とボーカル、コーラス、笑い声がいちいちぐっとくんねんて。…とか。でもすいません、違いました。事実はもうちょっとシンプルっつうか、若干ポリティカルだった。やや惜しい気持ちにもなろうというものだが、それでも相変わらずこの曲はいい曲に聞こえるのでまあ、いいか。…何れにせよ。出会いと別れの季節。こんな曲を誰かに贈ってみても洒落てんじゃねえの?改めて、友達になろうぜ、と。











紙飛行機



