2010/05/14
『Alice in Wonderland』
新宿バルト9で『Alice in Wonderland』を観る.
やっぱりティム・バートンとジョニー・デップのコンビは見逃せない.と思って観にいったのだけれど,大人になったアリスが一歩を踏み出す物語を語るにはやや尺が足りなかった.そのせいで,この手の映画のもつ痛快さが出し切れてないのが残念と言わざるを得ない.
もちろんエンタテイメントとしては十分おもしろいのだけれど,ティム・バートンへの期待が大きいだけに感想も辛口になるのかもしれない.
それより何より3D….アバターを観てないぼくには初体験だったわけだけれど,飛び出してくる感覚より映像の奥行きをつよく感じた.
でも,それ以上に印象的だったのは映像のピントと自分の視点の関係かな.奥行きのあるので,目の前にその光景があるように思うわけだけれど,映像でピントがあたっているところと焦点があたっているところの食い違いについていけない….視覚が慣れるか,映像の絞りが広くなるのか.これからの3Dがどうなるのか興味深いな.
2010/01/14
『THE OUTLINE 見えていない輪郭』展
21_21 DESIGN SIGHTで行われている『THE OUTLINE 見えていない輪郭』展に行く.
深澤直人のプロダクトが並んでいる,言ってしまえばそれだけの展覧会.
ただ,彼の展示はいつもそうなのだけれど,プロダクトの陳列よりもむしろ,彼のデザイン観を伝えるためのものだから,そういうものとして観ていた.
もう4年も前のことになるのだけれど,深澤直人は,ジャスパー・モリソンとともに『スーパーノーマル』という展示を行っている.
>当時の感想日記:http://www.kanshin.com/diary/977735
そのとき二人は,生活のなかでの収まりをデザインする際に注目し.それそのものをデザインしようとしていた.『スーパーノーマル』はその宣言だった.
今回の展示で示されたのは「輪郭」ー
プロダクトのかたちではなく,モノとそれに接する何かの境目が「輪郭」であり,「わたし(深澤直人)の役割はその輪郭を割り出し、そこにぶれなくはまるモノをデザインすることである」という.生活のなかでの収まりを考える際に「輪郭」が浮かび上がったのかもしれないし,デザインの具体的な方法論としてなるほどと思える考え方だ.
深澤はかつて,アフォーダンスについて話をしていた.そのときは「無意識に使ってしまうカタチ」のような理解で話がなされていて,そもそもの意味とはズレてるなと思っていた.でも,今回の展示からふり返ってみると,視覚上の認知というつながりでもって,アフォーダンスと輪郭はつながっているのかもしれない.
今回のテーマとなる「輪郭」は図面上の外形ではなく,「地」となる生活において「図」として視覚的に浮かび上がる像なのだろう.その輪郭を生活のなかで認知しながら,ぼくらは生活しているのかもしれない.それをそっと支えるプロダクトを,深澤はデザインしたいのだろし,まさにしているのだと思った.
2010/01/12
『木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン』
東京都写真美術館でやっている『木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン 東洋と西洋のまなざし』展を観にいく.
ライカでもって戦後の写真表現を切り拓いた二人だが,その表現が微妙にちがうことが展覧会をみているとよく分かる.まちを行き交う人やそこに住む人,そしてまちそのものを写真に収めようとしている木村伊兵衛に対して,カルティエ=ブレッソンは,ある場所の出来事を写真のなかに静止させてしまう.動画と静物画というか,時間をふくみこんだ写真と時間を凍りつかせた写真というか….
フィルムにしてもデジタルにしても,写真はシャッターが開いているあいだの時間が定着されているので,わずかな時間であれども写真のなかには時間がある.でも,カルティエ=ブレッソンの写真は,ある構図にのっとってしかるべき対象を配置して描かれた静物画のようだ.
べつにケチをつけるわけではないが,これがスナップショットの規範のようになってはあまりに堅苦しいだろうし,いわゆるコンポラ写真がその反動として出てきたのも納得できる.
一方の木村はというと,そのコンポラ写真のようなところが感じられなくもないように思えた.コンポラ写真といっても,あるまとまりのある表現様式ではないし,主義主張ではないのだが,親密すぎないが,かといって客観的でもない距離感で人やまちを撮るというところはある.木村の写真にはとくにそういったところが感じられた.
人やまちへの向き合い方や距離感のちがい—このことは,最後に展示されていた二人のコンタクトシートに明瞭に表れていた.
ひとつの被写体のまわりを動き,そして視点を変えながらシャッターを切っていることが伺える木村と,ある場所で視点を固定して数点を撮っては移動し、また違う場所で数点撮るカルティエ=ブレッソン.偶然に馬のお尻が写っている写真をプリントした木村と,厳格に構図で選択するカルティエ=ブレッソン.
この二人の巨人に対して,こんなにも単純な図式を適用するのはいささか短絡にすぎるかもしれないし,どちらがどうというようなことではないけれど,時間と視点に対する二人の考え方のちがいをみることのできるよい展覧会だった.
2010/01/06
2010年
日記を書くと宣言しておきながら,すでに2ヶ月が経ち,さらには年も変わり,そして5日が過ぎた.よくない….
言い訳をするつもりはないのだけれど,最近,自分のインプットとアウトプットの調子がおかしい.脱文脈的なインプットはさらに拍車がかかり,以前であればある程度の均斉がとれていたアウトプットまで脈絡のない断片的なものになっている.
何かをちょっと考えようとすると脱線し,別の何かに結びつこうとしながらも脈絡をみつけられず浮遊している感じ….
コンスタントにつぶやいているけど,それはたぶん,140文字しか書けないという条件によって脱線が踏みとどめられているのだろうな.たぶんだけど.
もしかしたら何か出てくるようにも思えるので,ちょっとのあいだ脈絡をつけずにフワフワしながら考えてみるのもいいかもしれない.ちょこちょこ思ったことを日記に綴ろう.
2009/11/04
日記
というか,まったくもって日記をつけてなかった.
映画はあんまり観てないけれど,本は読んでいるので,ちょっと思い出しながら,日記つけていこう.





De Stijl


