2012/02/09
炉心溶融「紙一重だった」…福島第二も総力戦
震災当時から現場を指揮してきた増田尚宏所長(53)は、報道陣に対し、「(大惨事を招いた)福島第一原発と同様の事態まで、紙一重だった」と震災直後の緊迫した状況を振り返った。
第二原発とメルトダウン(炉心溶融)に至った第一原発の距離はわずか約12キロ・メートル。襲来した津波は第一原発の13メートルに対して第二原発は9メートルだったが、海岸近くにある原子炉を冷却するための海水ポンプの機能が奪われ、原子炉4基中3基が一時危険な状態に陥った。
しかし、外部からの高圧送電線が1回線生き残り、中央制御室で原子炉の温度や水位などのデータが把握できた。必要な対策を見極め、事故4日後の3月15日までに全号機で冷温停止にこぎ着け、放射性物質は外部に漏れなかった。「原子炉の状態をつかめなかった第一原発とは大きく違った」と増田所長は指摘する。ただ、復旧までの道のりは険しく、総力戦だった。(2012年2月9日09時58分 読売新聞)
2012/02/01
冷却水、8.5トン漏れ出る 4号機
東京電力は(2月)1日、福島第1原発4号機の原子炉建屋で、原子炉の冷却水の流量を計測する機器の配管1本が接続部から抜け、冷却水8・5トンが漏れたと発表した。4号機は事故時に定期検査中で原子炉に燃料はないが、冷却水は使用済み燃料プールにつながっており放射性物質を含む。漏れた水は原子炉建屋地下の汚染水に流れ込んだため、外部への流出はないと東電は説明している。
1月30日午後5時ごろから漏れ始めたとみられ、水量は燃料プールの脇に設置されているタンク水位の低下量から推定した。東電は水が凍結して膨張し、内部から力がかかって抜けた可能性があるとみており、ほかの号機も調べる。
2012/01/24
IAEAの「専門家」、原発を再稼働させるために来日
菅政権時、肝入れで実現したIAEAによるチェック。その「専門家」がきた。(IAEAと十分な事前打合せを昨年から行っていた)
その前に、原発のストレステストの評価を巡り、政府の評価委員会は密室のなかで意見は割れたが、結果として「ストレステストのやり方は妥当」であるとする珍奇な結論を出した。
その次の「再稼働に向けた儀式」としてIAEAがある。その儀式は、IAEAのOKをもらい、原子力安全委員会のお墨付きを得、政府4閣僚(野田総理、枝野経産相、細野環境相、平野文科相)による、これまた「合格」である。その間、2月上旬と思われる最終結論まで二週間あまり。これだけの僅かな期間で結論を出そうというのです。
私たちの力量が問われます。最後の砦は「地元」しかありません。大飯原発の地元福井県。がんばりましょう。
2012/01/23
放射線量、上昇 0.1μはかなり高い
各地で(1月)23日午前9時から24日午前9時までに観測された最大放射線量は、20~23日と比べ、関東で上昇が目立った。
文部科学省の集計によると、茨城が毎時0・107マイクロシーベルト、埼玉が0・093マイクロシーベルト、千葉が0・082マイクロシーベルト、東京が0・083マイクロシーベルト、神奈川が0・099マイクロシーベルトに上昇。
福島は0・860マイクロシーベルトでやや減少した。 (注)福島県浪江町の放射線量は17日以降のデータが更新されていません
2011/12/29
バートランド・ラッセル=アインシュタイン宣言など核廃絶運動 湯川秀樹など
一九五四(昭和二十九)年三月一日に米国が南太平洋のビキニ環礁で行った初の水爆実験で被災した第五福竜丸の「死の灰」のデータを伝える日本人科学者の文書が、英物理学者ジョセフ・ロートブラット氏の遺品から見つかった。科学者による核廃絶運動を主導したロートブラット氏ら世界の科学者に、初めて水爆の実態を知らせた文書とみられる。 (加古陽治)
文書は、愛知県豊田市の科学史研究家奥田謙造さん(55)が、英ケンブリッジ大チャーチルアーカイブセンター所蔵のロートブラット文書から見つけた。
一枚の表と裏にタイプで書かれ、表は西脇安・大阪市立大助教授(当時)の妻が四月二十六日付で在外キリスト教関係者に宛てた手紙で、裏に西脇氏による「ビキニの灰の分析についての非公表データ」があった。
文書によると、西脇氏は第五福竜丸に降り注いだ「死の灰」の放射性物質を採取して分析。ヨウ素131やストロンチウム90など十七種類以上の放射性物質を検出した。船に降り積もった時、灰一グラムに少なくとも〇・五キュリー(一八五億ベクレル)の放射能が含まれていた可能性がある。
日本全域に降っている雨が人工的な放射能を帯びているようだ、とも指摘。雨に含まれる放射性物質は危険な水準ではないが、実験が台風の影響のある季節に行われていたならば、灰が日本に運ばれる可能性を否定できない-と述べていた。
西脇氏は第五福竜丸が静岡・焼津港に戻って二日後の三月十六日に、同港で放射能を測定。七月にキリスト教平和大会参加のため渡英した際、現地の大学などで講演し、原爆では出ないはずのウラン237が「死の灰」に含まれているとの情報を伝えた。
西脇氏の情報をもとに、ロートブラット氏は、ビキニ実験の水爆が(1)核分裂(2)核融合(3)核分裂-の三段階反応で爆発を起こし、大量の「死の灰」を降らせたことを解明した。
ロートブラット氏は水爆の実態を哲学者バートランド・ラッセルに伝達。ラッセルが提唱し、ロートブラット氏のほか、アルバート・アインシュタインや湯川秀樹らノーベル賞受賞者らが署名し、核戦争が人類の危機を招くと警告する「ラッセル=アインシュタイン宣言」を出した。
奥田さんは「文書は後のラッセル=アインシュタイン宣言に発展したと推測される。西脇氏のジェーン前夫人はアイゼンハワー米大統領に手紙を書いたと記しているので、米国側の調査もしたい」と話している。
<ビキニ水爆実験> 米国が南太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁で1954年3月1日に行った核実験。爆発の威力は15メガトンで、広島原爆の約1000発分に当たる。「死の灰」により東のロンゲラップ環礁の島民多数が被ばく。米国の設定した警戒区域外で操業していた静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人も被ばくし、半年後に無線長の久保山愛吉さん=当時(40)=が死亡した。原水爆禁止運動や、ラッセル=アインシュタイン宣言など核廃絶運動のきっかけとなった。
西脇 安(にしわき・やすし)氏 1917年、大阪市出身。放射線生物物理学が専門で、大阪市立大助教授当時、第五福竜丸を調査した。ウィーン大名誉教授。2011年3月に大阪市内で死去。享年94。
ジョセフ・ロートブラット氏 1908年、ポーランド出身の英物理学者。米国の「マンハッタン計画」で原爆開発に参加したが、ナチス・ドイツに原爆製造の能力はないとして離脱。核兵器廃絶を求める科学者組織「パグウォッシュ会議」を創立し、反核運動に生涯をささげた。95年、ノーベル平和賞受賞。2005年、ロンドンで死去。享年96。



oyaoya(Nicola♪) 


