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2012/01/08

2012年がはじまっております。

忙しくて怒濤のように昨年の年暮れを迎えました。
いろんな所でたくさんの人に会った年でもありました。
仕事に時間を取られて私生活の時間は異常に少なかったのに、
すごく充実してたなぁ、そういう時間に支えられているなー、
というね。有難いことでありました。

年末年始7日間の休みは全く休まる日が無く終了。
大晦日~元旦は実家でベタ過ぎる年末年始のこってり感を、
あとは親戚宅へご挨拶に伺ったり、友達に会ったり。

難病にかかって60歳そこそこで寝たきりになった叔父。
頼りない兄ちゃんだった3つ下のイトコは、二世帯新築に住まいを移し、
長男として家庭を持つ2児の父親として大人の男性になっていた。
パン洋菓子に料理人修行を数年続けていたイトコ弟は、
とうとう人気バール店の売れっ子店長に。
美大時代の友人はカフェソムリエの勉強を続けて
念願の店をオープンさせ、オーナーになっていた。
幼なじみの親友は、苦労の末に掴み熱心に続けていた看護師を辞め、
家庭を持ち 子どもを甲斐甲斐しく世話する母親になっていた。

この新年、それぞれの変わりゆく人生を見たっていう感じ。
変わらない日々を送っている私は、なんていうか…
1日ずつを大事にしていかねばならんのぅと、
年始早々から改めて思わせられましたよ。


一昨年からココロに描いた、地道に続けること。
その先にある自分にとっての暮らしと仕事のあり方が、
2011年になって少しずつカタチになって現れてきた気がしています。
一年一年ってジカに続いてたんだなぁーとか、
まぁ当たり前なんだけど、なんかそんなことをものすごく実感しました。

志を持って公私ともに 自分に与えられた今在る持ち場をまっとうする。
これは、今年もこの先も忘れずにいこう。
蟻は蟻の仕事をして生を終える。それで生態系は循環してる。
地味な人生でも、環っかの中の1コの役割として
恥ずかしくない生き方をしていきたい、ってことですわ。



今年、年頭に思ったのは「いずれ引越して動物飼いたい」というもの。
この先、なんかこう…信用できるナニカ…自分のためだけじゃない、
その存在があるから頑張れるような心の支えっていうか、
そういうナニカが居て欲しいと思うようになりました。
(やー、わりかし真面目にイタイこと書いてるよね私。笑)

まぁでも終点は、お金で買えないもの。 なんですよ。
すごく好きだったり愛おしいものだったり。
金で買えないモノへの思いってプレミアム感じゃないのよね。
金で買えない部分に触れた時の喜びなのよね。

金持ちで豪邸があって働かずとも何不自由なく暮らせる
という生活をしても、ワンルームで贅沢はできないけど
窮困するほどでもないっていう今の私と、
感情は変わらないのよねってことです。そこに居る自分が同じだから。

金で買えないもののためにお金貯めるってヘンなようだけど、
そういうことのためにしんどいオシゴトだって頑張れるんだし、
その結果お金にたどり着く。
私にとってお金ってそういうもんなんだわってね。
「孤独だけど、仕事は充実してるし金もあります。」って、
この先 真顔で言えるほど精神的に強靭で居られる自信ないのよねー、
根がへなちょこだから私。


あとね、今年っていうか、
これから先はホントにマイペースで行きたいって感じてます。
なんかもう言いたい奴には言わしとけばええやんみたいなとこがあって。
職場でも私生活でもそうだけど、方向性の違う人や場はもうどうでもいい。
それより自分の歩む道中での寄り道的なこと(関わる人や出会う人や愉しみ事)
を大事にしていきたいと思っています。
ローカル線で目的地に向かう道のりごと楽しむ的な。
与えられた自分の持ち場は継続しつつ、のんびりと行きたい。ってカンジ。


皆様にとっても心身ともに健やかな一年でありますよう。



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2011年、この空間を更新することがグッと減りました。
昔住んでいた場所で知ってる人は居るんだけど、
今はもう住んでいた頃とは違う街ってカンジです。

寂しいという気持ちが無いと言えば嘘になりますが、
時間が経過すれば、環境や人の動き…
様々な変化があって然りなんだろうなと思います。

人様の日記やKWはちょいちょい拝見させていただいていますが、
自分の更新は、どうだろう…な。
盆正月に実家に帰省して昔住んだ街や人に触れるような、
そんな感じになるのかな




2011/09/19

夢や希望の風呂敷包み一ツ持って

近頃お寺へ行くことが多い。

こう書くと実に暗いことのようだけど、
ここ最近、永代供養…つまり無縁仏のことを具体的に思案している。

ネットで探しても自分の状況と墓の置かれた環境が
合致する具体的なのが無い。


大きな点はこの2つ。
・一人っ子で確実に無縁仏になる
・墓は寺が管理するものではなく実家周辺の集落が管理している



私は一人っ子だし、もう40歳も遠くない年齢になって
実家の墓のことも考えるようになった。
ご先祖様や両親には心底申し訳ないけれど、
現実的に私が死ぬまでには墓を処分して、
墓に入っている先祖もろとも
無縁仏の手続きをしておかねばならない。

こういうことは、親がボケたりしないで
生きているうちに話しておいた方がいいんだろうか。



兄弟姉妹が他に居たらとか、
私が男なら年齢的にまだ先までとか思ってた頃もあったけど、
公私ともに男は30代からでも、女は30代でほぼその価値が終わる。
そして私は一人っ子。

こういうの、どこの誰に相談すればいいんだろうな。
ウチの実家のお墓というのが、古い村落の墓。
お寺が管理しているような墓ではないので
ネットで検索しても似たような事例が出て来ない。
実家周辺の集落で管理していると思うんだけど、
そこに相談するとなると、古い土地柄ウワサやらが
一人歩きすることは間違いないと思われ、かなり面倒な雰囲気。

同じような状況の人って知ってる限りでは居ないし、
やっぱり役所になるのかしら。



なんて言うか、こんなこと書くと本当に暗いことのようだけど、
(まぁ、楽しくはないけどもさ)根拠のない思いや考えで
現状から目をそらす年頃は過ぎたってことだなって気がしてます。
でもって、どなたか永代供養の手続きした知り合いとか
いらっしゃらないかしらとか、ちょっと思って書いてみた次第。



夢も希望も無いっていうより、
若かった頃の可能性ある無限天井だった夢や希望と、
種類が変わる時期なんだろうね。

若い時はたくさん夢を描いて、そこに向かって努力して、
そんで、失敗もして、痛い目にも遭って、後悔もするから、
いろんな考え方があって、いろんな人が居ることを知る。
だけど、怖いもの知らずで無茶もしてしまうからこそ
不可能が可能になることもたくさんある。
それが生きてるってことなんだろうなと思う今日この頃です。


これからは、今の年齢や立ち位置もふまえた上で、
現実的に考えておかないといけないことを少しずつ。
それから、
頭打ちも限界も見える中での夢や希望。
風呂敷包みで持って行けるぐらいのサイズのやつをね。




こういうことご存知の方いらっしゃいましたら
アドバイスいただけませんでしょうか。

2011/08/14

関わりはじめて7年後

  • 関わりはじめて7年後の画像

2011年の8月14日の14時過ぎ。
夏らしいコントラストの昼下がりです。
久しぶりに空間で空間に向けて日記を書いています。

数日かけてこの空間の整理をしました。
KWもまた少し減りました。
それから、過去の日記を一つずつ読みながら削除しました。
ここでいろんな人とオハナシをしたなーと懐かしく思い出しました。
退会した方々の多さにも驚いたりしながら。

退会した人たちの気持ちもなんとなくわかるようなキモチです。
私も、実は辞めるか、どう使うか、と感じていたから。

結果的に、整理してこの空間をもう少し眺めていようと思いました。
ここにはまだ、私が大事に感ずる人が居るからです。


あの曲と同じ名を持つユーザーさん。
何故かこの先もお会いすることはない気がするのですが、
どこか根底の感性がつながっているような…そんな感じです。
だから とりこじかけになるんでしょうか(笑)





シーサブログ、関心空間、ツイッター。
この3本立ての使い分けをどうしようかなと
去年からずっと使ってみていたわけなんですが、
結局のところ、他者との単純なやり取りの量ではなくて、
他者と自分の関係性…“関係性の在り方”が、
私がネットに求めることであり楽しみなんだなと思いました。


母体はやっぱりブログに。

シーサのブログを中心に、
ツイッターはリアルタイムでたまに。
関心空間は…、もう少し眺めながら使い方を考えるとします。


私的にTwitterは情報源には良いけど疲れる。
四六時中Twitterやってる人見てると私的にはちょっと違うと感じるし。

やり取りの量と人が近づく速度というのは比例するけれど、
咀嚼なく縮む距離感は時として大事なことを見落とす気がしてしまう。
気軽に数回会って話すと大した会話もしてないのに
わかり合えたような感覚を持ってしまうのと似ている。


文章として残ることがらというのは、
後悔したり、後で恥ずかしい思いをしたりするけれど、
それはとても大切なことなのだと自分の過去の日記を読みながら思いました。




人との関わりや思い入れで言えば、私は関心空間になる。
とはいえ、ここ最近の関心空間という場自体の退廃的ムードは否めない。
人が減るという意味ともちょっと違う、もっと不安定な感じ。

関心空間を辞めるか迷ったのは、
少し前の関心空間が開けないというトラブルの一件があって、
「あぁ、もうアカンのかも」というのが頭をよぎったから。
運営側を信用してないってことを実感してしまったということ。
mixiやFacebookやTwitterに連携を計るばかりで、
ここが芯のはずなのに何だかなぁと思ってるからかもしれない。


ユーザーもずいぶん入れ替わったけれど、
月日が経てば、同じ場所であっても人が入れ替わり、
雰囲気やムードも移り変わっていく街と一緒だから
それはそういうことなんだろう。寂しいけどね。
慣れた街だし、知ってる人も居るんだけど、
住んでいた頃とはもう違うんだなっていう感じ。



程よい距離感や、付かず離れずの空気感で
たいして盛り上がらない関心空間だった頃と今は違う。

私は私の思いを書いてるだけ、ワタクシの空間、
そういう空気を醸し出している閑散とした関心空間。


「公と私」がきちんと存在しなくなったのかなと。
「公」が無くなって発信することの意が「私が私に」で完結してる感はある。
自分の空間で完結という形が前提の上で個々が存在している。
そこには、他者が居て私が居る。
それが認識の中に有るか無いか。


だけど、これは関心空間だけのオハナシではないようです。



関心空間という小さなネット社会を一つの森として見てみよう。
森の中の1本の木として個が存在しているか。

それぞれが単に1本の木として存在している。
持ち主は森の世話をする気があるのかわからない。



森には、いろんな木々があって、高い木にも、低木にも、
陽が差すようにそれぞれが間隔を開けてそこに成長する。
だから土が育まれ、菌が培養され、小さな虫が育ち、動物が集う。
そうやって自然も人も循環している。



リアルとネット。
違うようでいて、現実社会はネット社会でわかりやすく見える気がします。

自分が力も頭脳も持たない存在であることも。
そんな自分が存在できているのは、
目に見えない循環のおかげであることも。



2011/03/14

それでも月曜日は来る

  • それでも月曜日は来るの画像
  • それでも月曜日は来るの画像

おはようございます。
いつもどおりの朝です。

いつもどおりの朝を過ごせていることに感謝。


本当の強さというのは、
どん底から光を見出し這い上がる力。
本当の愛というのは、
あなたとなら幸せになれる、ではなく
あなたとなら不幸でもがんばれる、なのだ。

私はそう思うよ。


自分に与えられた受け持ちのことがらを
まずはきちんとがんばろうと思います。



てなわけで、
本日も弁当つめました。
筍の土佐煮が手前のイワシ煮付けでほとんど見えん。
今日は、だし巻きにしたので、
どう見ても場所とりすぎの様相です。

実は今日、職場で引退される方の送別会なのです。
どうなるのかは出社してから。

2008/04/13

round round. change change. now.

  • round round. change change. now.の画像

朝から衣替えを兼ねて部屋の掃除モリモリ。
分厚い物の洗濯をぐるぐるして
のったりした青空の下に干す。

ベランダで大きく、くぅあぁあぁああ~とノビをした。


洗濯物が眠た気な風にユラユラしてる。
Nothing's Gonna Changeが部屋の空気を漂う。

my heat is like a satellite of yours
round round and around you
nothing's gonna change.


シンセが気持ちいい。

今は、春。

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ピララ

ピララ画像 音楽とか天気予報とか商店街うろちょろ好きです。 日記はブログに書いてます。 もっと見る

  • 2012/01/28更新
  • 2007/05/21登録

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