2012/02/15
猫三昧
1991年からずっと猫三昧の日々だった。
友人が荻窪周辺の「ねこネットワーク」の代表みたいな喫茶店マダムに私を引き合わせた。「黒ねこの子どもを六匹、保護したけど、あなた、一匹如何?」と飼いはじめたのが、雌猫のフーコだった。
2007年11月まで約16年生きたこの子は、コレットの小説『雌猫』の逆を行くような猫で、私が家に招く女性のことごとくに嫉妬し、彼女たちに爪を立てた。例外は亡母のみ。猫は関係まできちんと見分けるものだ。猫に手で接触できない母(「おかあちゃん、あの子の躯のぬくいーの、アカンねん」)。それを見越して、台所に立つ彼女の踵めざしてダッシュし、タッチしては逃げるフーコ、「きゃァっ!」という悲鳴で階下におりてみると、母から距離を置き、なにくわぬ顔で猫流の「化粧」をしている猫がいた。「ソレあんた、フーコにおちょくられとるんやワ」、と私……。
猫が愛情の質感の差を感知することを、フーコに教わった。
昨年の4月5日に死んだノノコは、母の死んだ1998年の夏が過ぎ、9月の奇しくも彼岸の日に私の前に、生後2ヶ月あまりの子猫の姿で出現した。ゴミ集積所に捨てられた兄弟(?)のぶちの子猫とともに保護した。ぶちはいっしょに保護した銀行勤めの女性が引き取った。
ノノコについては写真とともに何度か、当「日記」で触れたので仔細は省く。
先住猫フーコとのファースト・コンタクトで、いきなりフーコの鼻先をペロっと舐めた。最初から文字通り「ナメられたワ」と頭にキタらしいフーコは、約2日間のベッド下での篭城の後、ひとすら新参者の「教育」にあい努め、一瞥、ガンを飛ばせばノノコ、フーコを迂回して避け、二匹間の力関係と平和裡での共存は約10年、保持されたのだった。
ノノコ亡きあと、猫とのあまりに濃密な関係を私はどうも、無意識に避けているようだ。今でも時おり、室内で小さな黒い影が、目の端をよぎる。1年にはまだ満たないが、服喪の過程はどうも終了していないらしい。
* * *
約半年ぶりにドーラが姿を現した。体躯のさまに変化はない。
ただ、以前にまして妙な色気を発し、小首を傾げた姿で私を「悩殺」する。
チビは母(?)の出現に歓び、付きまとって離れない。
猫恋の季節がはじまった。夜中のいま、しきりに相手を求めるしゃがれた声がする。あれはドーラ、それともすでに適齢期も満期そのもののようなチビ?
2012/01/17
真知子巻き
女ともだちと会った。
私のしているグリーン地に赤のチェックのマフラーを見て、「ソレ、かあいい。交換しよう」って言うので、彼女のと交換した。Allegriのグリーンのロングコートと色が合うので、「ま、いっか」と。
交換ついでに、「ほれ、こーするとあったかいしょ。真知子巻き」。
と、おっさんがやるワケにいかないので【爆】、ぐるぐる巻きにしてやった。
「真知子巻きってなーに?」と訊くもんだから、むかしの映画で岸恵子がこーして巻いてたの、と説明したら、
「おばあちゃんみたい」とのたまう。
夕方の繁華街の込み合う喫茶店でのたわいない冬の会話。
2012/01/13
味覚
年年歳歳、野菜を多く食すようになる。それも煮物で。
ベースの出汁(だし)は、前日から大きめの計量カップに煮干10尾、昆布(一片)を漬け込み一晩、置く。これを煮物用に使う。水を足し沸騰させ、鰹節を。この一番だしですべて賄える。
冬に入って大根が旨い。ここのところの東京は野菜価格が高騰するなか、葉つきの一本が100~148円のレンジ(個人商店)で比較的、値が安定している。
なにより「煮て良し、焼いて良し(=きんぴらに)」なワケだから・・・。
隠居前よりも時間があるから、午後3時ごろから夕食用の煮物の準備。
本日は「鶏大根」。
出汁、醤油、味醂、酒、砂糖(目分量)で大切りの大根を鶏、しいたけと煮込むだけ。大振りに切った大根をひたひたの煮汁で約40分、ごく弱火で煮る。火を止め、この段階ではまだ大根の透明さが足りない。が、夕食直前の30分を二度煮することで煮くずれ一歩手前で、いい按配の炊き上がり。
試しに冷たくなったところで、煮汁を味見すると冒頭の出汁に大根、鶏のエキスが溶け込み、アツアツのときよりもはっきりその味が確認できる。お試しあれ!
ホウレンソウの黒ゴマ和え、を添えて。
こんな簡単な料理でさえ、集中力が要る。気持ちが鎮まっていないと駄目なもよう。
だし後の煮干と鰹節は、チビにおすそわけ(←ピンボケかよ!!=チビ)
2012/01/03
Angelic conversation新春篇
チビ:不覚だったニャン。おじちゃまのお雑煮のだしあとのかつぶし・にぼしたっぷりふっくらねこまんま・かりかりチップ添え、に釣られたあァー、、、
あっ、ちょっとおー、はがいじめしないでってば!!
シマ:おまえナニやってんの?ヒトのこと言えないよなあ(笑)
チビ:遺伝よ、遺伝。ドーラママもさあ、いまいちワキ甘かったモンね。
シマ:つーかオヤジ、毎年これやってネ?
チビ:まっ、おじちゃまに替わってあけおめ、ことよろよね。
・・・・あーあ、いいかげん放してほしんですけど。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・シマちゃあーん、チビちゃあーん、ごはんよおー♪
シマ:さいきんオヤジ、なんかカマっぽくね?
チビ:そりゃそーよ、アタシら、近づいたらスワって逃げるからかんね。居て欲しい一心で必死よん。
(・・・・)
なかよしノラのあにいもうと、シマとチビ。夕刻をねらって物干しに出没。たまさか、常備のざぶとんで一服。母猫(?)ドーラは縄張(しま)をふたりに譲渡した模様。最近、とんと姿を見かけない。
ひさかたぶりのおっさんの猫妄想対話でとりあえず、謹賀新年。
2011/12/04
ひといき‐電飾に…
東京西部・某区公会堂まえの木に今年も電飾が施された。
帰宅の道すがら、陽も落ちた路上を一里塚のように照らす。
なぜかホッとする。ささくれがちな感情とそれを宿した暗い眼
をした男も、ふと立ち止まり、しばらくは眼の洗濯を。
電飾に輝く“木立ちの上に”・・・、か。
そこに朧げに見えて来るものがあり、それは萎縮して弾力性を失った
心の枷(かせ)を解放するもの、の手触りも無い不可視なものの姿だ。
たぶんそれは自由を確認するか、求める感覚のなかにあるのかも。
・・・・・・・・
学校の机やノート上
勉強机や木立の上
砂の上 雪の上に
君の名を書く
(…………)
自由 と
「自由」:ポール・エリュアール(訳者・不詳)
Sur mes cahier d’écolier
Sur mon pupitre et les arbres
Sur je sable de neige
J’écris ton nom
(…………)
Liberté
liberté:Paul Eluard
・・・・・・・
当初は、この美しい電飾にマッチする音楽は無いものかと、思案していた。そろそろクリスマスで、これはNoelで、Noelといえば合唱曲で、プーランクかな?と連想の末に好きな『人間の姿:Figure Humaine』(フランシス・プーランク:BBCシンガース)を捜し出す。
ここで既視感があった。エリュアールの詩に出会ったのは、この曲だった。そして、
大島弓子ファンならご存知、初期の佳作「ローズティーセレモニー」(素敵なキーワード!!)冒頭と作中に引用される詩でもある(『四月怪談』・白泉文庫収録)。
Liberté:Paul.Eluard(朗読・ジェラール・フィリップ)
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